言語
王

王瓘

登場回
1
台詞の記録
5
人間関係
2
内面の独白
1

史書の記載(Historical Record)

王瓘なる人物については、現存する『三国志(さんごくし)』などの正史の記載において、明確な伝記や関連する事績は記されていない。これは、考証しうる歴史文献の中では、王瓘という人物が欠落しており、その生涯、官職、および三国(さんごく)時代の重要な歴史的事件との関連は、いずれも確かめようがないことを意味する。したがって、我々は史伝の資料から王瓘についてのいかなる客観的な記述も描き出すことができない。 c:12726

演義の記載(In the Novel)

羅貫中『三国演義』の文学的な造形において、王瓘は魏国の参軍として第114回に登場し、その形象は鄧艾(とうがい)のために計略を献じ、自ら偽りの投降を実行する謀士として描かれている。 c:12726 蜀漢(しょくかん)の姜維(きょうい)が三路に兵を率いて攻め寄せると、鄧艾(とうがい)は諸将を召集して対策を協議した。王瓘はこのとき「明言できない」一計を提出し、書面の形で鄧艾(とうがい)に呈した。鄧艾(とうがい)は読んでその妙を称えたものの、姜維(きょうい)を欺き通すのは難しいと懸念した。王瓘は自ら進んで願い出て、「命を捨てて参ります」とこの計の実行を申し出て、その断固として果敢な一面を示した。鄧艾(とうがい)はそこで王瓘に五千の兵馬を割き、夜を徹して斜谷から蜀兵を迎え撃つよう命じた。 c:12726

王瓘は蜀兵の先鋒の哨馬と遭遇すると、自らを魏国の降兵と称し、首尾よく姜維(きょうい)の注意を引いた。姜維(きょうい)に面会した際、王瓘は自分が王經の甥であり、司馬昭(しばしょう)が君主を弑し、叔父である王經一門を誅殺したため、司馬昭(しばしょう)を「骨髄まで憎んでいる」と偽り、特に投降して姜維(きょうい)が「奸党を討ち滅ぼす」のを助けたいと申し出た。 c:2795 姜維(きょうい)は表面上これを歓迎し、蜀軍の食糧不足を理由に、王瓘に川口の糧草を祁山(きざん)へ運ぶよう命じた。王瓘は計略が成功したと誤解し、内心大いに喜んで快く命を受けた。しかし、姜維(きょうい)の「計を逆手に取る」策により、王瓘の偽降は完全には功を奏さなかった。姜維(きょうい)は王瓘に三千人だけを率いて糧を運ばせ、二千人を残して「道案内」とさせたが、実はその兵力を分散させ監視するためであった。 c:2795 その後、夏侯覇(かこう は)の到来は姜維(きょうい)の疑念をさらに裏付けた。夏侯覇(かこう は)は王瓘が王經の甥ではなく、その投降には偽りが多いと指摘した。姜維(きょうい)は、自分はとうに王瓘の計略を見破っていたと率直に語り、司馬昭(しばしょう)が王經の実の甥を関外で兵を率いさせておくはずがないという論理を説明し、その並々ならぬ洞察力を示した。 c:2795

最終的に、王瓘の偽降の計略は露見した。彼は腹心から鄧艾(とうがい)が大敗し、事が漏れたとの報告を受け、慌てふためいた。四面楚歌で逃げ場のない状況で、王瓘は糧草の車輛を焼き払うよう命じ、残兵を率いて西へ突破を図った。姜維(きょうい)が後を追うと、王瓘は追兵を妨げるため、桟道と各関隘をことごとく焼き払い、漢中(かんちゅう)へ逃げ帰ろうとした。しかし、姜維(きょうい)はその意図を見破り、兵を率いて間道を抄って追撃した。王瓘は最終的に黒龍江で蜀兵に包囲されて攻められ、川に身を投げて死に、その部下もことごとく坑殺された。 c:12730 王瓘の計略は失敗したものの、その糧草と桟道を焼き払った行為は、姜維(きょうい)にも少なからぬ損失を与え、姜維(きょうい)はやむなく兵を率いて漢中(かんちゅう)へ引き返し、人力物力を費やして桟道を修復せざるを得なかった。 c:12730

主要な関係

* 王經(kin_of):演義では、王瓘は自分を王經の甥と偽り、これを偽降の口実として、王經が司馬昭(しばしょう)に誅殺されたため復讐の志を抱いていると称した。しかし、この親族関係は虚構であり、王瓘が姜維(きょうい)の信任を騙し取るために作り上げた身分である。(演義独自) c:2795
* 姜維(きょうい)(betrayed_by):王瓘は姜維(きょうい)を偽って降る計略の実行者である。彼は偽りの帰順によって姜維(きょうい)を欺き、鄧艾(とうがい)のために戦略上の優位を勝ち取ろうとした。しかし、姜維(きょうい)はその知謀によって王瓘の詭計を見破り、最終的に逆に一手を打ち、王瓘を敗死させた。(演義独自) c:2795
* 鄧艾(とうがい)(subordinate_of):王瓘は鄧艾(とうがい)の参軍であり、鄧艾(とうがい)のために計略を献じ、自ら偽降の任務を実行した。彼は鄧艾(とうがい)配下の重要な謀士であり実行者であって、その行動は直接鄧艾(とうがい)の軍事的配置に資するものであった。(演義独自) c:12726

象徴的な場面

* 計を献じて偽降:王瓘は鄧艾(とうがい)に偽降の計を献じ、自ら進んでその実行を願い出た。彼は書面の形で計策を呈し、「某、命を捨てて参らん」と表明して、謀士としての胆識と実行力を示した。この場面は王瓘の演義における主要な役割の位置づけを定めた。(演義独自) c:12726
* 偽りの帰順:王瓘は姜維(きょうい)と面会した際、涙ながらに自分は王經の甥であり、司馬昭(しばしょう)が君主を弑して叔父を誅殺したために投降してきたと偽り、姜維(きょうい)の同情と信任を勝ち取ろうとした。彼の言葉は懇切で、初期には首尾よく姜維(きょうい)を欺いた。(演義独自) c:2795
* 計略の看破:姜維(きょうい)は夏侯覇(かこう は)の注意喚起に加え、司馬昭(しばしょう)の行動様式についての自身の判断を結びつけ、最終的に王瓘の偽降の計略を見破った。彼は王瓘の兵力を分散させ、最終的に王瓘を追撃して、その卓越した軍事的知恵を示した。(演義独自) c:2795
* 入水自尽:偽降が失敗し四面楚歌の絶境の中、王瓘は捕虜になるのを避けるため、最終的に黒龍江に身を投げて自尽することを選んだ。この結末は王瓘の演義における短い登場を悲壮に締めくくり、その計略の完全な失敗を示すものでもあった。(演義独自) c:12730

人間関係

2 件の関係

名言

全 5 件の台詞 · 厳選 2 件

「某乃王經之姪王瓘也。近見司馬昭弒君,將叔父一門皆戮,某痛恨入骨。今幸將軍興師問罪,故特引本部兵五千來降。願從調遣,剿除奸黨,以報叔父之恨。」

演 第114回→ 姜維(きょうい)

この一句は王瓘が姜維(きょうい)に投降する真の動機を明かし、その人物像の核心をなしている。

「吾有一計,不可明言。見寫在此,謹呈將軍台覽。」

演 第114回→ 鄧艾(とうがい)

この一句は王瓘の計略を示し、小説における重要な筋書きの導入となっている。

登場回1 回 ▸
  • 演ch.114
関係の年表2 条 ▸

演 ch.114

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は鄧将軍(とうしょうぐん)の命を受け、一計を書き記した。人前で明かすことを拒み、ただ帳前まで持っていき、直接ご覧いただくよう願い出た。その頃、蜀軍が三方から攻め寄せ、軍中は議論で騒然としていた。この任務に少しでもしくじれば、一枚の策書で取
生涯の大事1 ▸