史載(Historical Record)
王昌なる人物について、『三国志(さんごくし)』などの正史の記載の中に、その明確な生涯の事績や関連する記載を見いだすことはできなかった。したがって、史料の観点から言えば、王昌の身分と活動はいずれも明証を以て考証することができない。その歴史上の実在の有無、ならびに具体的な功罪是非は、いずれも現存の史伝資料から確証を得ることができない。 c:12695
演中(In the Novel)
羅貫中『三国演義』の文学的叙述において、王昌は李傕(りかく)麾下の虎賁の一人として、第十三回に短く登場する。当時、李傕(りかく)は皇甫酈(こうほり)の離間の計により軍心が離散し、怒りに堪えず、王昌を遣わして皇甫酈(こうほり)を追捕させようとした。しかし王昌は、皇甫酈(こうほり)が忠義の士であり、その言論が漢室を匡輔することを旨とし、いわれなく事を起こすものではないことをよく知っていた。そのため彼は李傕(りかく)の命令を真に実行せず、面従腹背の策をとった。彼は皇甫酈(こうほり)を追撃せず、かえって李傕(りかく)に「酈はすでにいずこへ去ったか分かりませぬ」と復命した c:12695。この行いは、王昌が忠義の士を敬重していたことを示すのみならず、間接的に李傕(りかく)の勢力を弱め、後の羌兵の離反への伏線ともなった。王昌は演義では出番が少なく、一言の台詞があるのみだが、その行為はある程度筋立ての展開を推し進め、乱世にあって賊営の中にあってもなお正義を心に抱く者がいることを示した。その形象は十分に肉付けされてはいないが、肝心な時にその独特の立場と判断力を示し、李傕(りかく)の残虐さと鮮明な対比をなしている。
関鍵関係
* 李傕(りかく)(betrayed_by):王昌は『三国演義』において李傕(りかく)の部下であるが、その行為は李傕(りかく)への裏切りを構成する。李傕(りかく)が彼に皇甫酈(こうほり)の追捕を命じたとき、王昌はそれを実行せず、かえって軍情を偽って、皇甫酈(こうほり)の行方が分からないと報告した c:12695。この行為は直接の反逆ではないが、主君の命令に背き、間接的に李傕(りかく)の敵を助けたため、一種の裏切りと見なすことができる。この関係は演義において、王昌の個人的な道徳的選択と忠義への共感を示しており、盲目的な服従ではない。(演義独自)
象徴的な場面
王昌の『三国演義』における象徴的な場面は、李傕(りかく)の命を受けて皇甫酈(こうほり)を追捕しながら、相手を見逃すことを選んだ瞬間である。当時、皇甫酈(こうほり)は李傕(りかく)の軍心を離間して李傕(りかく)を激怒させ、李傕(りかく)は王昌を遣わして追捕させた。しかし王昌は皇甫酈(こうほり)の忠義をよく知り、悪に手を貸すことを望まず、真には追撃せず、李傕(りかく)に「酈はすでにいずこへ去ったか分かりませぬ」と復命した c:12695。この場面は簡潔ながら、王昌の形象を深く刻み込んでいる。彼は賊営に身を置きながらも是非を明弁し、悪しき勢力に巻き込まれず、その正直さと良知を示した。この行為は忠義の士たる皇甫酈(こうほり)を守ったのみならず、間接的に李傕(りかく)の実力を弱め、後の賈詡(かく)による羌兵の離間、さらなる李傕(りかく)勢力の瓦解への伏線ともなった。この場面は王昌が演義で唯一直接筋立ての推進に関わった場であり、彼が個人の品格を示した肝心な瞬間でもある。(演義独自)
人間関係
1 件の関係
その他1
台詞
- 演 ch.13 §32→ 李傕(りかく)
「酈已不知何往矣。」
登場回1 回 ▸
- 演ch.13
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は命を受けて皇甫酈(こうほれき)を追ったが、これは尋常な追捕ではないと心の中では分かっていた。李傕(りかく)は怒って私を遣わし、求めていたのは、ただあの直言した者を捕らえて連れ戻すことだった。だが私は、彼がすでに西涼の人々に李傕の謀反を告