言語

孫呉

石偉

字 公操 · 208–290

石偉の肖像
他の人物と同じ場面に →

石偉(Shi Wei)は孫呉(そんご)の官吏で、風俗巡察を命じられ、呉滅亡後は狂人を装って晋の爵位を受けなかった。

正史 『三国志』巻48 · 『演義』に登場せず

出典

原典に石偉が登場する箇所

  • 正史 · 巻 48『三国志』

    …秋八月,遣光祿大夫周弈、石偉巡行風俗,察將吏清濁,民所疾苦,爲黜陟之詔。…
    段落全文を読む

    四年夏五月,大雨,水泉涌溢。秋八月,遣光祿大夫周弈、石偉巡行風俗,察將吏清濁,民所疾苦,爲黜陟之詔。〈《楚國先賢傳》曰:石偉字公操,南郡人。少好學,脩節不怠,介然獨立,有不可奪之志。舉茂才、賢良方正,皆不就。孫休即位,特徵偉,累遷至光祿勳。及皓即位,朝政昏亂,偉乃辭老耄痼疾乞身,就拜光祿大夫。吳平,建威將軍王戎親詣偉。太康二年,詔曰:「吳故光祿大夫石偉,秉志清白,皓首不渝,難處危亂,廉節可紀。年已過邁,不堪遠涉,其以偉爲議郎,加二千石秩,以終厥世。」偉遂陽狂及盲,不受晉爵。年八十三,太熙元年卒。〉九月,布山言白龍見。是歲,安吳民陳焦死,埋之,六日更生,穿土中出。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 4 件

石偉、字は公操(Kōsō)、南郡(なんぐん)の人。孫呉(そんご)の官吏である。登場する章回は不明で、演義には登場しない。

事績

  • 孫休(そん きゅう)の時代、石偉は周弈とともに、風俗を巡察し、官吏の清廉さを調べるよう命じられた(史書の記載)。
  • 孫休の即位後、石偉は特別に召され、昇進を重ねて光禄勲に至った。孫皓の即位(そんこうのそくい)後、老齢と多病を理由に辞職し、光禄大夫に任じられた(史書の記載)。
  • 呉の滅亡後、王戎(おうじゅう)は自ら石偉を訪ねた。晋の朝廷は詔を下して石偉を議郎に任じ、二千石の俸秩を加えたが、石偉は狂人を装い、目が見えないと称して晋の爵位を受けず、八十三歳で亡くなった(史書の記載)。

関係

  • 孫休の命を受け、周弈とともに風俗を巡察した。
  • 呉の滅亡後、王戎が自ら石偉を訪ねた。

人間関係

1 件の関係

石偉 の人物関係図孫休石偉
  • 君臣
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 1 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 1 人を表示

孫休

続けて読む

孫休

主君

孫休へ →
関係の年表1 件 ▸

正史 · 巻 48

  • 孫休§22

    主君

    孫休に特別に召され、累進して光禄勲に至った