鍾邕
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鍾邕(しょうよう)は曹魏(そうぎ)の鍾会(しょうかい)の兄の子で、史書では鍾会(しょうかい)とともに死んだとされ、『演義』には登場しない。
出典
原典に鍾邕が登場する箇所
正史 · 巻 28『三国志』
…會兄子邕,隨會與俱死,會所養兄子毅及峻、辿〈敕連反。〉等下獄,當伏誅。…
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初,艾為太尉,會為司徒,皆持節、都督諸軍如故,咸未受命而斃。會兄毓,以四年冬薨,會竟未知問。會兄子邕,隨會與俱死,會所養兄子毅及峻、辿〈敕連反。〉等下獄,當伏誅。司馬文王表天子下詔曰:「峻等祖父繇,三祖之世,極位臺司,佐命立勳,饗食廟庭。父毓,歷職內外,幹事有績。昔楚思子文之治,不滅斗氏之祀;晉錄成宣之忠,用存趙氏之後。以會、邕之罪,而絕繇、毓之類,吾有愍然!峻、辿兄弟特原,有官爵者如故。惟毅及邕息伏法。」或曰,毓曾密啟司馬文王,言會挾術難保,不可專任,故宥峻等云。〈《漢晉春秋》曰:文王嘉其忠亮,笑答毓曰:「若如卿言,必不以及宗矣。」〉
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