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高蕃

高蕃の肖像
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高蕃(こうはん)は魏郡太守を務め、水路を断ったが、李典・程昱に敗れた。

正史 『三国志』巻18 · 『演義』に登場せず

出典

原典に高蕃が登場する箇所

  • 正史 · 巻 18『三国志』

    …會尚遣魏郡太守高蕃將兵屯河上,絕水道,太祖敕典、昱:「若船不得過,下從陸道。」…
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    時太祖與袁紹相拒官渡,典率宗族及部曲輸谷帛供軍。紹破,以典為裨將軍,屯安民。太祖擊譚、尚於黎陽,使典與程昱等以船運軍糧。會尚遣魏郡太守高蕃將兵屯河上,絕水道,太祖敕典、昱:「若船不得過,下從陸道。」典與諸將議曰:「蕃軍少甲而恃水,有懈怠之心,擊之必克。軍不內御;苟利國家,專之可也,宜亟擊之。」昱亦以為然。遂北渡河,攻蕃,破之,水道得通。劉表使劉備北侵,至葉,太祖遣典從夏侯惇拒之。備一旦燒屯去,惇率諸軍追擊之,典曰:「賊無故退,疑必有伏。南道狹窄,草木深,不可追也。」惇不聽,與於禁追之,典留守。惇等果入賊伏里,戰不利,典往救,備望見救至,乃散退。從圍鄴,鄴定,與樂進圍高幹於壺關,擊管承於長廣,皆破之。遷捕虜將軍,封都亭侯。典宗族部曲三千餘家,居乘氏,自請原徙詣魏郡。太祖笑曰:「卿欲慕耿純邪?」典謝曰:「典駑怯功微,而爵寵過厚,誠宜舉宗陳力;加以征伐未息,宜實郊遂之內,以制四方,非慕純也。」遂徙部曲宗族萬三千餘口居鄴。太祖嘉之,遷破虜將軍。與張遼、樂進屯合肥,孫權率眾圍之,遼欲奉教出戰。進、典、遼皆素不睦,遼恐其不從,典慨然曰:「此國家大事,顧君計何如耳,吾可以私憾而忘公義乎!」乃率眾與遼破走權。增邑百戶,並前三百戶。

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ほか 3 件

高蕃は袁尚(えんしょう)が派遣した魏郡太守で、兵を率いて河畔に駐屯した。演義にはこの人物の記述はない。

事績

高蕃は兵を率いて河畔に駐屯し、水路を遮断した。李典(りてん)と程昱(ていいく)が河を渡ってその軍を破り、水路は再び通行できるようになった。(史書の記録)

関係

  • 袁尚(えんしょう)に派遣され、魏郡太守に任じられた
  • 李典(りてん)、程昱(ていいく)と交戦した

人間関係

1 件の関係

高蕃 の人物関係図李典高蕃
  • その他
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