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董嗣

董嗣の肖像
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董嗣(とうし)は、豫章郡(よしょうぐん)・臨川を略奪し、周魴(しゅうほう)の間諜に誘い出されて殺された賊帥として呉に記された。

正史 『三国志』巻60 · 『演義』に登場せず

出典

原典に董嗣が登場する箇所

  • 正史 · 巻 60『三国志』

    …〉賊帥董嗣負阻劫鈔,豫章、臨川並受其害。〈臣松之案:孙亮太平二年始立临川郡,是时未有临川。…
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    魴初建密計時,頻有郎官奉詔詰問諸事,魴乃詣部郡門下,因下發謝,故休聞之,不復疑慮。事捷軍旋,權大會諸將歡宴,酒酣。謂魴曰:“君下發載義,成孤大事,君之功名,當書之竹帛。”加裨將軍,賜爵關內侯。〈徐众评曰:夫人臣立功效节,虽非一涂,然各有分也。为将执桴鼓,则有必死之义,志守则有不假器之义,死必得所,义在不苟。鲂为郡守,职在治民,非君所命,自占诱敌,髡剔发肤,以徇功名,虽事济受爵,非君子所美。〉賊帥董嗣負阻劫鈔,豫章、臨川並受其害。〈臣松之案:孙亮太平二年始立临川郡,是时未有临川。〉吾粲、唐咨嘗以三千兵攻守,連月不能拔。魴表乞罷兵,得以便宜從事。魴遣間諜,授以方策,誘狙殺嗣。嗣弟怖懼,詣武昌降於陸遜,乞出平地,自改為善,由是數郡無復憂惕。

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ほか 3 件

董嗣は、東呉の記録に見える賊の頭目で、地勢を頼みに豫章郡(よしょうぐん)・臨川一帯で略奪を行った。『演義』には登場しない。

事績

董嗣は地勢を頼みに略奪を行い、豫章郡(よしょうぐん)・臨川はともに被害を受けた。呉粲(ごさん)と唐咨(とうし)はかつて三千の兵を率いて攻めたが、数か月にわたり攻略できなかった。(史書に記載)
周魴(しゅうほう)は間者を遣わして策を授け、董嗣を狙殺させた。(史書に記載)

関係

  • 弟は董嗣の死後、恐れをなして武昌(ぶしょう)へ赴き、陸遜(りくそん)に降伏した。また、平地へ移り住み、自ら善行をするよう改めたいと願い出た。

人間関係

3 件の関係

董嗣 の人物関係図吾粲周魴唐咨董嗣
  • 敵対
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吾粲

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正史 · 巻 60

  • 周魴§55

    敵対

    周魴の計略によって誘い出され、殺された

  • 吾粲§55

    敵対

    吾粲は兵を率いてこれを攻めたが、勝てなかった

  • 唐咨§55

    敵対

    唐咨は兵を率いてこれを攻めたが、勝てなかった