言語

公沙盧

公沙盧の肖像
他の人物と同じ場面に →

公沙盧(こうさろ)は膠東の公沙氏の有力者で、自ら砦を築き召集に応じず、王脩に斬られた。

正史 『三国志』巻11 · 『演義』に登場せず

出典

原典に公沙盧が登場する箇所

  • 正史 · 巻 11『三国志』

    …膠東人公沙盧宗彊,自為營塹,不肯應發調。脩獨將數騎徑入其門,斬盧兄弟,公沙氏驚愕莫敢動。…
    段落全文を読む

    王脩字叔治,北海營陵人也。年七歲喪母。母以社日亡,來歲鄰里社,脩感念母,哀甚。鄰里聞之,為之罷社。年二十,游學南陽,止張奉舍。奉舉家得疾病,無相視者,脩親隱恤之,病愈乃去。初平中,北海孔融召以為主簿,守高密令。高密孫氏素豪俠,人客數犯法。民有相劫者,賊入孫氏,吏不能執。脩將吏民圍之,孫氏拒守,吏民畏憚不敢近。脩令吏民:「敢有不攻者與同罪。」孫氏懼,乃出賊。由是豪彊懾服。舉孝廉,脩讓邴原,融不聽。〈融集有融荅脩教曰:「原之賢也,吾已知之矣。昔高陽氏有才子八人,堯不能用,舜實舉之。原可謂不患無位之士。以遺後賢,不亦可乎!」脩重辭,融荅曰:「掾清身絜己,歷試諸難,謀而鮮過,惠訓不倦。余嘉乃勳,應乃懿德,用升爾于王庭,其可辭乎!」〉時天下亂,遂不行。頃之,郡中有反者。脩聞融有難,夜往奔融。賊初發,融謂左右曰:「能冒難來,唯王脩耳!」言終而脩至。復署功曹。時膠東多賊寇,復令脩守膠東令。膠東人公沙盧宗彊,自為營塹,不肯應發調。脩獨將數騎徑入其門,斬盧兄弟,公沙氏驚愕莫敢動。脩撫慰其餘,由是寇少止。融每有難,脩雖休歸在家,無不至。融常賴脩以免。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 3 件

公沙盧(ゴンシャ・ロ)は膠東の公沙氏の有力者で、登場する章回の資料は伝わっていない。『演義』にはこの人物は描かれていない。

事績

  • 公沙盧は自ら砦を築き、徴発に応じようとしなかった。王脩(ワン・シュウ)は騎兵数騎を率いてまっすぐその門に入り、公沙盧とその兄弟を斬殺した。(史書の記載)
  • 公沙氏の人々は驚き、誰も動こうとしなかった。王脩は残った人々を慰撫し、その後、盗賊の騒乱はやや鎮まった。(史書の記載)

関係

  • 兄弟とともに王脩に斬殺された。
  • 公沙氏の一族に属する。

人間関係

1 件の関係

公沙盧 の人物関係図王修公沙盧
  • 敵対
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 1 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 1 人を表示

戦績

戦場の記録

原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。

王修

続けて読む

王修

敵対

王修へ →
関係の年表1 件 ▸

正史 · 巻 11

  • 王修§35

    敵対

    召集に応じることを拒み、王修に斬られた