史載(Historical Record)
閻象、袁術(えんじゅつ)麾下の主簿。興平二年(195年)冬、漢の献帝が曹陽で敗退した際、袁術は部下を召集し、帝を称そうとした。彼は衆人に向かって、劉氏は衰微し海内は動揺しているが、袁家は四世三公にして深く民心を得ており、天命に応じて帝位に即きたいと表明した。袁術の問いかけに対し、衆人はみな答えようとせず、ただ閻象だけが身を挺して、率直に諫めた。
閻象は周朝を例に挙げ、周は后稷から文王に至るまで徳を積み功を累ね、すでに天下の三分の二を得ていながら、なお殷商に臣服していたと指摘した。彼は続いて袁術と周朝を対比し、袁術の家族は代々顕赫であるとはいえ周朝の隆盛にははるかに及ばず、漢室はすでに衰微しているとはいえ殷の紂王の暴虐の程度には達していないと考えた。したがって、彼は袁術が帝を称すべきではないと明言した。
袁術は閻象の諫めを聞いて、黙然として不快であったが、すぐには発作しなかった。しかし、彼はついに河内の張烱の符命の説を採用し、僭号して帝を称し、自ら「仲氏」と称した。袁術は帝を称した後、九江太守を淮南尹とし、公卿を設置し、天地を祭った。その生活は日々荒淫奢侈となり、後宮の数百人はみな綾羅綢緞をまとい、餐食は豊かであったが、士卒は凍えと飢えの苦しみに苛まれ、その結果、江淮地方は民生が凋敝し、人が人を食らう惨状すら現れた。
袁術は帝を称した後、相次いで呂布(りょふ)と曹操(そうそう)に破られ、ついに部曲の雷薄(らいはく)・陳蘭のもとへ灊山に身を寄せたが、またも拒まれた。憂懼が交々に募り、行く道もない際に、彼は帝号を袁紹(えんしょう)に返し、青州(せいしゅう)へ赴いて袁譚(えんたん)に身を寄せようとしたが、途中で発病して身罷った。閻象の袁術が帝を称した後の具体的な行方は、史料に明確な記載がない。
演中(In the Novel)
『三国志演義』において、閻象の像は史実とおおむね合致し、同様に敢えて直諫する忠臣として造形されている。小説第十七回において、袁術は淮南に広大な土地と充足した糧草を擁し、また孫策(そん さく)が質に入れた伝国の玉璽を持っていたことから、僭越して帝を称する念を萌した。彼は群臣を召集して協議し、漢の高祖は一介の亭長にすぎなかったが天下を得たのであり、今や漢室の気数は尽き、袁家は四世三公にして深く民心を得ているゆえ、天命に応じて帝位に即きたいと称した。
この時、主簿の閻象が身を挺し、衆論を排して、率直に「不可」と言上した。彼は周の文王が徳を積み功を累ね、すでに天下の三分の二を得ていながら、なお殷商に臣服していたという典故を引き、袁術の家族は顕赫であるとはいえ周朝の隆盛にははるかに及ばず、漢室は衰微しているとはいえ殷の紂王の暴虐の程度には達していないと指摘した。したがって、彼は袁術が帝を称することに断固反対し、この事は「決して行うべからず」と考えた。
袁術はこれを聞いて大いに怒り、閻象に反駁して、袁姓は陳より出で、大舜の後裔であり、土をもって火を承け、まさにその運に応じていると称した。また讖語「漢に代わる者は、当塗高なり」を引き、自らの字「公路」がまさにこの讖に応じていると称した。加えて伝国の玉璽を有しているのだから、もし帝を称さなければ「天道に背くこと」になると言った。袁術の態度は強硬で、「吾が意はすでに決した、多言する者は斬る!」と称した。袁術は閻象の諫めに対してきわめて大きな不満と威嚇を示したものの、閻象の直言不諱は、その忠誠正直の品格を際立たせている。小説において、閻象はこの諫言の後は再び現れず、その結末は史実と同じく、明確に説明されていない。
関係(Key Relationships)
* 袁術(advises_in):閻象は袁術の主簿であり、袁術が帝を称そうとした際、これに率直に諫めた。彼の諫めは袁術が帝を称するのを阻止できなかったものの、その忠誠と正直の品格は史料・演義の双方に体現されている。袁術は閻象の諫めに「黙然として不快であった」 あるいは「怒って曰く」 と、異なる意見への不寛容を示している。
* 袁術集団(袁術集団(えんじゅつしゅうだん), advisor):袁術の主簿として、閻象は袁術集団における重要な謀士の一人である。彼は袁術集団が重大な決断に直面した際、自らの見解を提出できる。その建言は採用されなかったものの、その身分と職責ゆえに集団内部の顧問の役柄をなしている。
象徴的場面(Iconic Scenes)
* 袁術が帝を称するのを直諫する:これは閻象の最もよく知られた象徴的場面である。袁術が群臣を召集し帝を称そうとした際、群臣はみな敢えて言わず、ただ閻象だけが身を挺し、周の文王が殷の紂王に事えた例をもって、袁術が帝を称することの不可を力説した。彼は袁術の家族は顕赫であるとはいえ周朝の盛んさには及ばず、漢室は衰微しているとはいえ殷の紂王の暴虐には及ばないと指摘した。この挙は閻象の忠誠正直、敢えて直諫する品格を十分に示している。袁術はこれに「黙然として不快であった」 り、演義では「多言する者は斬る」と威嚇すらした が、閻象の諫めはなおその生涯において最も光輝ある一筆である。
人間関係
1 件の関係
その他1
台詞
- 史 ch.6 §49
「昔周自后稷至于文王,積德累功,參分天下有其二,猶服事殷。明公雖弈世克昌,未若有周之盛,漢室雖微,未若殷紂之暴也。」
- 演 ch.17 §1→ 袁術(えんじゅつ)
「不可。昔周后稷積德累功,至於文王,三分天下有其二,猶以服事殷。明公家世雖貴,未若有周之盛;漢室雖微,未若殷紂之暴也。此事決不可行。」
登場回2 回 ▸
- 史ch.6
- 演ch.17
関係の年表1 条 ▸
史 ch.6
- 袁術(えんじゅつ)§49
advises_in
主簿谏术勿僭号;术嘿然不悦
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は主簿であり、近侍して記録を取り、進言するのが務めだった。その年の冬、天子が曹陽(Sōyō)で敗れ、天下が騒乱に陥ると、主公は群臣を集め、天命に従い民意に応じて、漢に取って代わるべきかと問うた。座にいた者は皆黙り込み、誰も答えようとしなか
生涯の大事1 ▸
- 0197-01-01 · 寿春(じゅしゅん)袁術の帝位僭称(えんじゅつのていいせんしょう)· 軍師