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劉普

劉普の肖像
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劉普(りゅうふ)は淮南成徳の劉曄の父で、侍人が母の命で劉曄に殺された後も、劉曄を罰しなかった。

正史 『三国志』巻14 · 『演義』に登場せず

出典

原典に劉普が登場する箇所

  • 正史 · 巻 14『三国志』

    …父普,母脩,產渙及曄。渙九歲,曄七歲,而母病困。臨終,戒渙、曄以「普之侍人,有諂害之性。…
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    劉曄字子揚,淮南成悳人,〈惪音德。〉漢光武子阜陵王延後也。父普,母脩,產渙及曄。渙九歲,曄七歲,而母病困。臨終,戒渙、曄以「普之侍人,有諂害之性。身死之後,懼必亂家。汝長大能除之,則吾無恨矣。」曄年十三,謂兄渙曰:「亡母之言,可以行矣。」渙曰:「那可爾!」曄即入室殺侍者,徑出拜墓。舍內大駕,白普。普怒,遣人追曄。曄還拜謝曰:「亡母顧命之言,敢受不請擅行之罰。」普心異之,遂不責也。汝南許劭名知人,避地揚州,稱曄有佐世之才。

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ほか 3 件

劉普は淮南成徳の人で、劉曄(りゅうよう)之父であり、漢末の人物である。『三国志演義』には登場しない。

事績

劉曄が七歳のとき、母は病が重く、兄弟に劉普の侍人に用心するよう言いつけた。その侍人は性質がへつらい、人を害するため、自分の死後に家の中を乱すのではないかと案じたという(史書の記載)。
劉曄が十三歳のとき、母の遺言に従うべきだと考え、部屋に入って侍人を殺し、そのまま外へ出て母の墓に参った。劉普はそれを知ると人を遣わして彼を追わせた。劉曄は戻って謝罪し、劉普は結局、彼を罰しなかった。

関係

  • 劉曄(りゅうよう)之父。

人間関係

2 件の関係

劉普 の人物関係図劉曄劉渙劉普
  • 親族
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