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拔奇

拔奇の肖像
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拔奇(ばっき)は高句麗の伯固(はくこ)の長子で、継位できず兵を率いて公孫康(こうそんこう)に降り、後に遼東へ赴いた。

正史 『三国志』巻30 · 『演義』に登場せず

出典

原典に拔奇が登場する箇所

  • 正史 · 巻 30『三国志』

    伯固死,有二子,長子拔奇,小子伊夷模。拔奇不肖,國人便共立伊夷模爲王。…
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    伯固死,有二子,長子拔奇,小子伊夷模。拔奇不肖,國人便共立伊夷模爲王。自伯固時,數寇遼東,又受亡胡五百餘家。建安中,公孫康出軍擊之,破其國,焚燒邑落。拔奇怨爲兄而不得立,與涓奴加各將下戶三萬餘口詣康降,還住沸流水。降胡亦叛伊夷模,伊夷模更作新國,今日所在是也。拔奇遂往遼東,有子留句麗國,今古雛加駮位居是也。其後復擊玄菟,玄菟與遼東合擊,大破之。

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ほか 3 件

拔奇は高句麗(こうくり)の伯固(はくこ)の長子で、高句麗に属する。『演義』にはこの人物の記述はなく、資料にも登場する章回は記されていない。

事績

伯固の死後、拔奇は不肖であったため、国人に王として擁立されなかった。長子でありながら後を継げなかったことを恨み、涓奴加(けんぬか)とともに三万余りの下戸を率いて公孫康(こうそんこう)に降伏し、その後、遼東に移り住んだ。(史書の記載)

関係

人間関係

4 件の関係

拔奇 の人物関係図伊夷模伯固駁位居公孫康拔奇
  • 親族
  • 君臣
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伊夷模

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伊夷模

兄弟姉妹

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正史 · 巻 30

  • 伯固§37

    親族

    長子

  • 兄弟姉妹

    兄;国人は弟の伊夷模を王に立てた

  • 主君

    一行を率いて公孫康に降った