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呂並

呂並の肖像
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呂並(りょへい)は屯田客で、将軍を称して兵を集め、後に討たれた。

正史 『三国志』巻23 · 『演義』に登場せず

出典

原典に呂並が登場する箇所

  • 正史 · 巻 23『三国志』

    …屯田客呂並自稱將軍,聚黨據陳倉,儼復率署等攻之,賊即破滅。
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    入爲司空掾屬主簿。〈《魏略》曰:太祖北拒袁紹,時遠近無不私遺牋記,通意於紹者。儼與領陽安太守李通同治,通亦欲遣使。儼爲陳紹必敗意,通乃止。及紹破走,太祖使人搜閱紹記室,惟不見通書疏,陰知儼必爲之計,乃曰:「此必趙伯然也。」臣松之案《魏武紀》:破紹後,得許下軍中人書,皆焚之。若故使人搜閱,知其有無,則非所以安人情也。疑此語爲不然。〉時于禁屯潁陰,樂進屯陽翟,張遼屯長社,諸將任氣,多共不協;使儼幷參三軍,每事訓喻,遂相親睦。太祖征荊州,以儼領章陵太守,徙都督護軍,護于禁、張遼、張郃、朱靈、李典、路招、馮楷七軍。復爲丞相主簿,遷扶風太守。太祖徙出故韓遂、馬超等兵五千餘人,使平難將軍殷署等督領,以儼爲關中護軍,盡統諸軍。羌虜數來寇害,儼率署等追到新平,大破之。屯田客呂並自稱將軍,聚黨據陳倉,儼復率署等攻之,賊即破滅。

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ほか 3 件

呂並(りょへい)は曹魏(そうぎ)側の屯田客で、その事績は『三国志(さんごくし)』巻二十三に見える。『演義』には登場しない。

事績

呂並は将軍を自称し、仲間を集めて陳倉(ちんそう)を占拠したが、その後、趙儼(ちょうげん)が殷署らを率いて攻め、滅ぼした(史書の記載による)。

関係

人間関係

2 件の関係

呂並 の人物関係図殷署趙儼呂並
  • 敵対
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趙儼

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正史 · 巻 23

  • 趙儼§34

    敵対

    趙儼に討伐され平定された