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劉穎

劉穎の肖像
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劉穎(りゅうえい)は呉の広陵出身で、病を口実に孫権の召し出しを避け、弟の葬儀に赴いたことで記録に残る。

正史 『三国志』巻53 · 『演義』に登場せず

出典

原典に劉穎が登場する箇所

  • 正史 · 巻 53『三国志』

    …廣陵劉穎與畯有舊,穎精學家巷,權聞徵之,以疾不就。其弟略為零陵太守,卒官,穎往赴喪,權知其詐病,急驛收錄。…
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    嚴畯字曼才,彭城人也。少耽學,善《詩》《書》、三《禮》,又好《說文》。避亂江東,與諸葛瑾、步騭齊名友善。性質直純厚,其於人物,忠告善道,志存補益。張昭進之於孫權,權以為騎都尉、從事中郎。及橫江將軍魯肅卒,權以畯代肅,督兵萬人,鎮據陸口。眾人咸為畯喜。畯前後固辭:「樸素書生,不閒軍事,非才而據,咎悔必至。」發言慷慨,至於流涕,〈志林曰:權又試畯騎,上馬墮鞍。〉權乃聽焉,世嘉其能以實讓。權為吳王,及稱尊號,畯嘗為衛尉,使至蜀,蜀相諸葛亮深善之。不畜祿賜,皆散之親戚知故,家常不充。廣陵劉穎與畯有舊,穎精學家巷,權聞徵之,以疾不就。其弟略為零陵太守,卒官,穎往赴喪,權知其詐病,急驛收錄。畯亦馳語穎,使還謝權。權怒廢畯,而穎得免罪。久之,以畯為尚書令,後卒。〈吳書曰:晙時年七十八,二子凱、爽。凱官至昇平少府。〉畯著《孝經傳》《潮水論》,又與裴玄、張承論管仲、季路。皆傳於世。

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ほか 3 件

劉穎(りゅう えい)は広陵(こうりょう)の人で、呉に属し、厳畯(げんしゅん)と面識があった。『演義』には登場しない。

事績

劉穎は学識が深く、家の路地に住んでいた。孫権(そん けん)はそのことを聞いて召し出そうとしたが、劉穎は病気を理由に辞退した。(史書に記載)
劉穎の弟、劉略(りゅう りゃく)は零陵(れいりょう)太守を務めていたが、任地で亡くなった。劉穎が弔問に赴くと、孫権は仮病だったことを知り、驛使を遣わして急ぎ召し出した。その後、劉穎は罪を免れた。(史書に記載)

関係

  • 厳畯とは旧知の仲で、厳畯はかつて、孫権のもとへ戻って謝罪するよう劉穎を促した。
  • 弟の劉略は零陵(れいりょう)太守を務めた。

人間関係

2 件の関係

劉穎 の人物関係図留略厳畯劉穎
  • 親族
  • 友人
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留略

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留略

兄弟姉妹

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正史 · 巻 53

  • 厳畯§10

    友

    旧友;厳畯は彼を救おうとして孫権に罷免された

  • 留略§10

    兄弟姉妹

    兄;劉略は零陵太守(人物登録表には載っていない)