張俶

張俶(ちょうしゅく)は東呉の司直中郎将で、他人を讒告し、横暴・奢淫と罪の露見により処刑された。
出典
原典に張俶が登場する箇所
正史 · 巻 48『三国志』
…初,騶子張俶多所譖白,累遷爲司直中郎將,封侯,甚見寵愛,是歲姦情發聞,伏誅。…
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天紀元年夏,夏口督孫慎出江夏、汝南,燒略居民。初,騶子張俶多所譖白,累遷爲司直中郎將,封侯,甚見寵愛,是歲姦情發聞,伏誅。〈《江表傳》曰:俶父,會稽山陰縣卒也,知俶不良,上表云:「若用俶爲司直,有罪乞不從坐。」皓許之。俶表正彈曲二十人,專糾司不法,於是愛惡相攻,互相謗告。彈曲承言,收繫囹圄,聽訟失理,獄以賄成。人民窮困,無所措手足。俶奢淫無厭,取小妻三十餘人,擅殺無辜,衆姦並發,父子俱見車裂。〉
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張俶(チョウ・シュク)は三国(さんごく)の呉の司直中郎将で、『三国志(さんごくし)』巻四十八に記載がある。演義にはこの人物は登場しない。
事績
- 張俶は幾度も讒言して他人を告発し、次第に司直中郎将へ昇進して侯に封じられ、孫皓(そん こう)の寵愛を受けた。(史書の記載)
- 張俶は二十人を弾劾・糾察し、もっぱら不法行為の摘発にあたった。その後、互いに誹謗し告発し合い、訴訟の審理は不公正となり、賄賂によって獄案が作られた。(史書の記載)
- 張俶は奢侈淫乱の限りを尽くし、妾を三十人余り娶り、罪のない人々を勝手に殺した。天紀元年、罪が露見して処刑され、父子ともども車裂きにされた。(史書の記載)
関係
- 父は会稽(かいけい)郡山陰県の卒で、かつて上表して、張俶が罪を得た場合も連座させないよう願い出た。のちに張俶とともに車裂きにされた。
戦績
戦場の記録
原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。
- 史巻48処刑敗「是歲姦情發聞,伏誅」

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主君
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正史 · 巻 48
- 孫皓§43
主君
孙皓宠臣,任司直中郎将;后被孙皓诛杀