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耿祉

耿祉の肖像
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耿祉(ゲン・シ)は後漢末の度遼将軍で、于夫羅に軍を破られたと記録される。

正史 『三国志』巻8 · 『演義』に登場せず

出典

原典に耿祉が登場する箇所

  • 正史 · 巻 8『三国志』

    …單于執楊至黎陽,攻破度遼將軍耿祉軍,眾復振。卓以楊為建義將軍、河內太守。
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    張楊字稚叔,雲中人也。以武勇給并州,為武猛從事。靈帝末,天下亂,帝以所寵小黃門蹇碩為西園上軍校尉,軍京都,欲以御四方,徵天下豪傑以為偏裨。太祖及袁紹等皆為校尉,屬之。〈《靈帝紀》曰:以虎賁中郎將袁紹為中軍校尉,屯騎校尉鮑鴻為下軍校尉,議郎曹操為典軍校尉,趙融、馮芳為助軍校尉,夏牟、淳于瓊為左右校尉。〉并州刺史丁原遣楊將兵詣碩,為假司馬。靈帝崩,碩為何進所殺。楊復為進所遣,歸本州募兵,得千餘人,因留上黨,擊山賊。進敗,董卓作亂。楊遂以所將攻上黨太守於壺關,不下,略諸縣,眾至數千人。山東兵起,欲誅卓。袁紹至河內,楊與紹合,復與匈奴單于於夫羅屯漳水。單于欲叛,紹、楊不從。單于執楊與俱去,紹使將麴義追擊於鄴南,破之。單于執楊至黎陽,攻破度遼將軍耿祉軍,眾復振。卓以楊為建義將軍、河內太守。

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ほか 3 件

耿祉(こうし)は後漢末の度遼将軍で、史料にはその軍が于夫羅(うふら)に攻められたと記されている。『演義』にはこの人物は登場しない。

事績

耿祉は度遼将軍を務めた。于夫羅が張楊(ちょうよう)を黎陽(れいよう)に連れて行った後、耿祉の軍を破り、勢力を再び盛り返した(史料による)。

関係

  • 于夫羅(うふら)との関係:その軍は于夫羅に破られた。

人間関係

1 件の関係

耿祉 の人物関係図於夫羅耿祉
  • 敵対
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於夫羅

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