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張俊

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張俊の肖像
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張俊(ちょうしゅん)は豫章郡太守として孫奮(そん ふん)の母の墓を掃除し、孫皓(そん こう)に車裂きのうえ三族を皆殺しにされた。

正史 『三国志』巻59 · 『演義』に登場せず

出典

原典に張俊が登場する箇所

  • 正史 · 巻 59『三国志』

    …奮母仲姬墓在豫章,豫章太守張俊疑其或然,掃除墳塋。皓聞之,車裂俊,夷三族,誅奮及其五子,國除。…
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    建衡二年,孫皓左夫人王氏卒。皓哀念過甚,朝夕哭臨,數月不出,由是民間或謂皓死,訛言奮與上虞侯奉當有立者。奮母仲姬墓在豫章,豫章太守張俊疑其或然,掃除墳塋。皓聞之,車裂俊,夷三族,誅奮及其五子,國除。〈《江表傳》曰:豫章吏十人乞代俊死,皓不聽。奮以此見疑,本在章安,徙還吳城禁錮,使男女不得通婚,或年三十四十不得嫁娶。奮上表乞自比禽獸,使男女自相配偶。皓大怒,遣察戰齎藥賜奮,奮不受藥,叩頭千下,曰:「老臣自將兒子治生求治,無豫國事,乞丐餘年。」皓不聽,父子皆飲藥死。 臣松之案:建衡二年至奮之死,孫皓即位,尚猶未乆。若奮未被疑之前,兒女年二十左右,至奮死時,不得年三十四十也。若先已長大,自失時未婚娶,則不由皓之禁錮矣。此雖欲增皓之惡,然非實理。〉

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ほか 3 件

張俊(Chō Shun)は東呉の豫章郡(よしょうぐん)太守で、その事績は『三国志(さんごくし)』巻五十九に見える。『演義』には登場しない。

事績

孫皓(そん こう)の左夫人である王氏が亡くなった後、民間では孫皓がすでに死去し、孫奮(そん ふん)と上虞侯の孫奉(そん ほう)が後を継ぐという流言が広まった。これを受け、張俊は孫奮の母である仲姬の墓園を掃除した。(史書の記載による)
孫皓はこれを知ると、張俊を車裂きに処し、その三族を皆殺しにした。(史書の記載による)

関係

  • 東呉に仕え、豫章郡(よしょうぐん)太守を務めた。
  • 孫奮の母である仲姬の墓園を掃除したため、孫皓に処刑された。

人間関係

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  • その他
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正史 · 巻 59

  • 孫皓§32

    戦死

    仲姬の墓を掃除したため、車裂きにされ、三族を滅ぼされた