孫呉 · 偏將軍/都郷侯
士壹

士壹(しいつ)は士燮の弟で、孫呉(そんご)に仕え、合浦太守・偏将軍を歴任後、罪により誅殺された。
出典
原典に士壹が登場する箇所
正史 · 巻 49『三国志』
…卓恶之,乃署教曰:“司徒掾士壹,不得除用。”故历年不迁。会卓入关,壹乃亡归。…
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弟壹,初為郡督郵。刺史丁宮徵還京都,壹侍送勤恪,宮感之,臨別謂曰:「刺史若待罪三事,當相辟也。」後宮為司徒,辟壹。比至,宮已免,黃琬代為司徒,甚禮遇壹。董卓作亂,壹亡歸鄉里。〈吴书曰:琬与卓相害,而壹尽心於琬,甚有声称。卓恶之,乃署教曰:“司徒掾士壹,不得除用。”故历年不迁。会卓入关,壹乃亡归。〉交州刺史朱符為夷賊所殺,州郡擾亂。燮乃表壹領合浦太守,次弟徐聞令䵋領九真太守,〈䵋音于鄙反,见《字林》。〉䵋弟武,領南海太守。
正史 · 巻 49『三国志』
…燮又誘導益州豪姓雍闓等,率郡人民使遙東附,權益嘉之,遷衛將軍,封龍編侯,弟壹偏將軍,都鄉侯。…
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後巨與恭相失,舉兵逐恭,恭走還零陵。建安十五年,孫權遣步騭為交州刺史。騭到,燮率兄弟奉承節度。而吳巨懷異心,騭斬之。權加燮為左將軍。建安末年,燮遣子廞入質,權以為武昌太守,燮、壹諸子在南者,皆拜中郎將。燮又誘導益州豪姓雍闓等,率郡人民使遙東附,權益嘉之,遷衛將軍,封龍編侯,弟壹偏將軍,都鄉侯。燮每遣使詣權,致雜香細葛,輒以千數,明珠、大貝、流離、翡翠、玳瑁、犀、象之珍,奇物異果,蕉、邪、龍眼之屬,無歲不至。壹時貢馬凡數百匹。權輒為書,厚加寵賜,以答慰之。燮在郡四十餘歲,黃武五年,年九十卒。
正史 · 巻 49『三国志』
權以交阯縣遠,乃分合浦以北為廣州,呂岱為刺史;交阯以南為交州,戴良為刺史。…
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權以交阯縣遠,乃分合浦以北為廣州,呂岱為刺史;交阯以南為交州,戴良為刺史。又遣陳時代燮為交阯太守。岱留南海,良與時俱前行到合浦,而燮子徽自署交阯太守,發宗兵拒良。良留合浦。交阯桓鄰,燮舉吏也,叩頭諫徽使迎良,徽怒,笞殺鄰。鄰兄治子發又合宗兵擊徽,徽閉門城守,治等攻之數月不能下,乃約和親,各罷兵還。而呂岱被詔誅徽,自廣州將兵晝夜馳入,過合浦,與良俱前。壹子中郎將匡與岱有舊,岱署匡師友從事,先移書交阯,告喻禍福,又遣匡見徽,說令服罪,雖失郡守,保無他憂。岱尋匡後至,徽兄祗,弟幹、頌等六人肉袒奉迎。岱謝令復服,前至郡下。明旦早施帳幔,請徽兄弟以次入,賓客滿坐。岱起,擁節讀詔書,數徵罪過,左右因反縛以出,即皆伏誅,傳首詣武昌。〈孙盛曰:夫柔远能迩,莫善於信;保大定功,莫善於义。故齐桓创基,德彰於柯会;晋文始伯,义显於伐原。故能九合一匡,世主夏盟,令问长世,贻范百王。吕岱师友士匡,使通信誓,徽兄弟肉袒,推心委命,岱因灭之,以要功利,君子是以知孙权之不能远略,而吕氏之祚不延者也。〉壹、䵋、匡後出,權原其罪,及燮質子廞,皆免為庶人。數歲,壹、䵋坐法誅。廞病卒,無子,妻寡居,詔在所月給俸米,賜錢四十萬。
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事績
当初は郡督郵を務めた。刺史の丁宮(Ding Gong)が召し出されて都に赴く際、士壹は勤勉かつ慎重に付き従った。丁宮が司徒に就任すると士壹を招いたが、士壹が到着した時には丁宮はすでに免職されていた。後任の司徒である黄琬(こうえん)は、士壹を手厚く遇した。(史書の記載)
董卓(とう たく)が乱を起こすと、士壹は故郷へ逃げ帰った。裴注によれば、董卓はかつて士壹を任用してはならないと命じていたため、士壹は長年昇進できず、董卓が関中に入った後になってようやく逃げ帰ったという。
交州(こうしゅう)刺史の朱符が異民族の賊に殺され、州郡が乱れた後、士燮は上表して士壹を合浦太守に任命した。(史書の記載)
孫権(そん けん)が歩騭(ほしつ)を交州刺史に任命すると、士燮兄弟はその指揮に従った。建安末年、士燮の南方にいる諸子は皆、中郎将に任じられ、士壹はのちに偏将軍を授けられ、都郷侯に封じられた。(史書の記載)
士燮は使者を遣わして孫権に貢ぎ物を献上し、士壹も一度に数百匹の馬を献上したことがある。(史書の記載)
士壹の子である士匡は呂岱(りょたい)と旧交があり、呂岱は士匡を師友従事に任じ、士徽に罪を認めさせるため説得に向かわせた。(史書の記載)
士壹と士䵋はのちに出仕した。孫権は二人の罪を赦し、庶人に降した。数年後、士壹は罪を犯して処刑された。(史書の記載)
関係

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