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張靖

張靖の肖像
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張靖(ちょうせい)は孫呉の臣・張紘の子で、父の臨終の箋により史書に記されるが、『演義』には登場しない。

正史 『三国志』巻53 · 『演義』に登場せず

出典

原典に張靖が登場する箇所

  • 正史 · 巻 53『三国志』

    …臨困,授子靖留箋曰:「自古有國有家者,咸欲修德政以比隆盛世,至於其治,多不馨香。…
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    紘建計宜出都秣陵,權從之。〈《江表傳》曰:纮謂權曰:「秣陵,楚武王所置,名為金陵。地勢岡阜連石頭,訪問故老,雲昔秦始皇東巡會稽經此縣,望氣者云金陵地形有王者都邑之氣,故掘斷連岡,改名秣陵。今處所具存,地有其氣,天之所命,宜為都邑。」權善其議,未能從也。後劉備之東,宿於秣陵,周觀地形,亦勸權都之。權曰:「智者意同。」遂都焉。獻帝春秋云:劉備至京,謂孫權曰:「吳去此數百里,即有警急,赴救為難,將軍無意屯京乎?」權曰:「秣陵有小江百餘里,可以安大船,吾方理水軍,當移據之。」備曰:「蕪湖近濡須,亦佳也。」權曰:「吾欲圖徐州,宜近下也。」臣松之以為秣陵之與蕪湖,道里所校無幾,於北侵利便,亦有何異?而云欲闚徐州,貪秣陵近下,非其理也。諸書皆云劉備勸都秣陵,而此獨雲權自欲都之,又為虛錯。〉令還吳迎家,道病卒。臨困,授子靖留箋曰:「自古有國有家者,咸欲修德政以比隆盛世,至於其治,多不馨香。非無忠臣賢佐暗於治體也,由主不勝其情,弗能用耳。夫人情憚難而趨易,好同而惡異,與治道相反。《傳》曰:『從善如登,從惡如崩』,言善之難也。人君承奕世之基,據自然之勢,操八柄之威,甘易同之歡,〈《周禮太宰職》曰:以八柄詔王馭群臣。一曰爵,以馭其貴。二曰祿,以馭其富。三曰予,以馭其幸。四曰置,以馭其行。五曰生,以馭其福。六曰奪,以馭其貧。七曰廢,以馭其罪。八曰誅,以馭其過。〉無假取於人;而忠臣挾難近之術,吐逆耳之言,其不合也,不亦宜乎!(雖)則有釁,巧辯緣間,眩於小忠,戀於恩愛,賢愚雜錯,長幼失敘,其所由來,情亂之也。故明君悟之,求賢如饑渴。受諫而不厭,抑情損欲,以義割恩,上無偏謬之授,下無冀之望。宜加三思,含垢藏疾,以成仁覆之大。」時年六十卒。權省書流涕。

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ほか 3 件

張靖(ちょうせい)は呉の臣である張紘(ちょうこう)の子で、『三国志(さんごくし)』巻五十三に記されている。『演義』には登場しない。

事績

張紘は臨終の際、書き置きを張靖に託し、孫権(そん けん)に徳政を修め、賢者を求めて諫言を受け入れ、感情を抑えて欲望を減らし、仁義をもって国を治めるよう勧めた。張紘の死後、孫権はその手紙を読んで涙を流した。(史書に記載)

関係

  • 張紘の子であり、臨終の書き置きを託された。
  • 孫権は張紘の書き置きで戒められた相手である。

人間関係

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張靖 の人物関係図張紘張靖
  • 親族
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