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詹強

詹強の肖像
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詹強(センキョウ)は会稽(かいけい)の山越の賊帥で、会稽太守を自称したが、後に配下が賀齊に降った。

正史 『三国志』巻60 · 『演義』に登場せず

出典

原典に詹強が登場する箇所

  • 正史 · 巻 60『三国志』

    …賊帥張雅、詹強等不願升降,反共殺升,雅稱無上將軍,強稱會稽太守。…
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    賀齊字公苗,會稽山陰人也。〈虞预《晋书》曰:贺氏本姓庆氏。齐伯父纯,儒学有重名,汉安帝时为侍中、江夏太守,去官,与江夏黄琼、〔广汉〕杨厚俱公车徵。避安帝父孝德皇(帝)讳,改为贺氏。齐父辅,永宁长。〉少為郡吏,守剡長。縣吏斯從輕俠為奸,齊欲治之。主簿諫曰:“從,縣大族,山越所附,今日治之,明日寇至。”齊聞大怒,便立斬眾。從族黨遂相糾合,眾千餘人,舉兵攻縣。齊率吏民,開城門突擊,大破之,威震山越。後太末、豐浦民反,轉守太末長,誅惡養善,期用盡平。建安元年,孫策臨郡,察齊孝廉。時王朗奔東冶,侯官長商升為朗起兵。策遣永寧長韓晏領南部都尉,將兵討升,以齊為永寧長。晏為升所敗,齊又代晏領都尉事。升畏齊威名,遣使乞盟。齊因告喻,為陳禍福,升遂送上印綬,出捨求降。賊帥張雅、詹強等不願升降,反共殺升,雅稱無上將軍,強稱會稽太守。賊盛兵少,未足以討,齊住軍息兵。雅與女婿何雄爭勢兩乖,齊令越人因事交構。遂至疑隙,阻兵相圖。齊乃進討,一戰大破雅,強黨震懼,率眾出降。

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詹強は会稽(かいけい)一帯の山越の賊の首領で、会稽太守を自称した。『三国演義』にはこの人物は登場しない。

事績

史書によると、商升が使者を遣わして賀齊に降伏を申し入れた後、詹強と張雅は降伏を望まず、逆に二人で商升を殺害した。詹強は会稽太守を自称した。
史書によると、賀齊は越人に命じて張雅とその娘婿の何雄を離間させた。張雅と何雄が争った後、賀齊は討伐に乗り出して張雅を大いに破った。詹強の部下たちは恐れおののき、軍勢を率いて降伏した。

関係

  • 張雅とともに商升を殺害し、後に張雅が敗れると、その部下たちは降伏した。
  • 商升とは敵対し、賀齊への降伏に反対した。

人間関係

2 件の関係

詹強 の人物関係図商升賀齊詹強
  • 敵対
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正史 · 巻 60

  • 敵対

    張雅とともに商升を殺した

  • 敵対

    賀齊が進攻して討伐すると、その一党は出頭して降伏した