吳達

吳達(ごたつ)は曹魏(そうぎ)の黄門で、史書では太皇太后の命で司馬芝(しばし)の府に伝令したとされるが、『演義』には登場しない。
出典
原典に吳達が登場する箇所
正史 · 巻 12『三国志』
…前制書禁绝淫祀以正風俗,今當等所犯妖刑,辭語始定,黄門吴达诣臣,傳太皇太后令。…
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諸应死罪者,皆當先表鬚報。前制書禁绝淫祀以正風俗,今當等所犯妖刑,辭語始定,黄門吴达诣臣,傳太皇太后令。臣不敢通,惧有救护,速聞聖聽,若不得已,以垂宿留。由事不早竟,是臣之罪,是以冒犯常科,輒敕縣考竟,擅行刑戮,伏鬚誅罰。
正史 · 巻 12『三国志』
明帝即位,賜爵关内侯。顷之,特进曹洪乳母當,與臨汾公主侍者共事無涧神〈臣松之案:無涧,山名,在洛陽東北。…
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明帝即位,賜爵关内侯。顷之,特进曹洪乳母當,與臨汾公主侍者共事無涧神〈臣松之案:無涧,山名,在洛陽東北。〉系獄。卞太后遣黄門诣府傳令,芝不通,輒敕洛陽獄考竟,而上疏曰:
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吳達は曹魏(そうぎ)の明帝の時代の黄門で、所属は曹魏(そうぎ)であり、『三国志(さんごくし)』の関連記録に見える。演義にはこの人物は登場しない。
事績
- 曹洪乳母當と臨汾公主の侍者は、無澗神(むかんしん)にともに仕えたため投獄された。吳達は太皇太后の命を奉じて司馬芝(しばし)の邸宅へ赴き、命令を伝えようとしたが、司馬芝は取り次がなかった。(史書の記載)
関係
- 太皇太后の命を奉じて行動した
- 司馬芝(しばし)の邸宅へ赴き、命令を伝えた

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