史書の記載(Historical Record)
王真について、正史には明確な記載がない。『三国志(さんごくし)』などの史伝資料の中には、この人物に関するいかなる情報も見出せず、したがって史料に基づいてその生涯、事績、官職について客観的に記述することはできない。
演義の記載(In the Novel)
王真は羅貫中『三国演義』において魏将として登場するが、その形象は完全に文学的造形の産物であり、史書には明記されていない。彼が初めて、また唯一登場するのは小説の第百十二回である。当時、彼は長城を鎮守する将軍司馬望(しばぼう)の麾下の一将であった。姜維(きょうい)が蜀兵を率いて魏国を攻めると、司馬望(しばぼう)は王真・李鵬の二将とともに城を出て迎え撃った。両軍が対峙する中、姜維(きょうい)は降伏を勧め、司馬昭(しばしょう)が「主を軍中に遷した」ことを責め、李傕(りかく)・郭汜(かくし)の所業を真似ようとしていると非難した。姜維(きょうい)の非難に対し、司馬望(しばぼう)が大声で応じる一方、王真は司馬望(しばぼう)の言葉が終わらぬうちに、槍を構えて馬を出し、蜀将に挑戦した。蜀漢(しょくかん)の陣中からは、傅僉(ふせん)が出て王真と交戦した。二人が十合と戦わぬうちに、傅僉(ふせん)は偽って敗れる計を用い、わざと隙を見せた。王真はこれを見て槍を突き出してきたが、傅僉(ふせん)は巧みにこれをかわし、その勢いに乗じて王真を生け捕り、本陣へ連れ帰った。
王真が擒えられた後、もう一人の魏将李鵬が大いに怒り、馬を駆って刀を振りかざし救援にやって来た。傅僉(ふせん)はわざと速度を緩め、李鵬が近づくのを待って、王真を地に投げ捨て、ひそかに四楞の鉄簡を取り出して手に握った。李鵬が追いついて刀を挙げて斬ろうとすると、傅僉(ふせん)は身をかわして振り返り、鉄簡で李鵬の面門を打ち、李鵬の眼球を飛び出させてその場で打ち殺した。続いて、王真も蜀軍の陣中で乱れる槍に刺し殺された。王真の戦死は、直ちに魏軍の士気を低下させ、司馬望(しばぼう)はすぐに営寨を放棄して城に退き、城門を固く閉ざした。姜維(きょうい)は勢いに乗じて休整を命じ、翌日には長城に猛攻を仕掛け、最終的に城を攻め破った。
主要な関係
* 司馬望(しばぼう)(serves):王真は『三国演義』において、長城を鎮守する将軍司馬望(しばぼう)の部将である。彼は司馬望(しばぼう)の指揮に従い、ともに城を出て姜維(きょうい)の蜀軍を迎え撃った。戦いの中で、王真は司馬望(しばぼう)のために先陣を切って突撃し、最終的に魏国のために命を捧げた。この主従関係は演義のみに見られ、史書には記載がない。(演義独自)
象徴的な場面
* 傅僉(ふせん)が偽って敗れ王真を擒える:『三国演義』第百十二回において、王真は槍を構えて馬を出し蜀将傅僉(ふせん)に挑戦した。二人が十合と戦わぬうちに、傅僉(ふせん)は偽って敗れる計を施し、王真は計にかかって追撃したが、逆に傅僉(ふせん)に生け捕られた。この場面は傅僉(ふせん)の勇武と知謀を示しただけでなく、直接王真とその後の李鵬の戦死を招き、戦局に重要な影響を与えた。王真が擒えられた後、李鵬が救援に来たが、傅僉(ふせん)はその隙に暗器を用いて李鵬を討ち取り、最終的に王真を乱れる槍に刺し殺させた。この一連の出来事は、王真が演義で最もよく知られる経歴であり、その人物の運命の転換点でもある。(演義独自)
人間関係
1 件の関係
登場回1 回 ▸
- 演ch.112
関係の年表1 条 ▸
演 ch.112
- 司馬望(しばぼう)§21
serves
部将;阵中挺枪出马,中傅佥诈败被擒
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は王真(Wang Zhen)。司馬望(しばぼう)に従って長城を守っていた。蜀軍が来たという知らせが城内に届いたとき、私が耳にしたのは、城内には兵糧がまだ十分あるが、兵馬は少ないということだけだった。そこで司馬望は私と李鵬(Li Peng)