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陳僕

陳僕の肖像
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陳僕(ちんぼく)は東呉時代、黟の賊帥として祖山らと林歷山を守り、賀齊に大破された。

正史 『三国志』巻60 · 『演義』に登場せず

出典

原典に陳僕が登場する箇所

  • 正史 · 巻 60『三国志』

    …而歙賊帥金奇萬戶屯安勒山,毛甘萬戶屯烏聊山,黟帥陳僕,祖山等二萬戶屯林歷山。…
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    十三年,遷威武中郎將,討丹陽黟、歙。時武強、葉鄉、東陽、豐浦四鄉先降,齊表言以葉鄉為始新縣。而歙賊帥金奇萬戶屯安勒山,毛甘萬戶屯烏聊山,黟帥陳僕,祖山等二萬戶屯林歷山。林歷山四面壁立,高數十丈,逕路危狹,不容刀楯,賊臨高下石,不可得攻。軍住經日,將吏患之。齊身出周行,觀視形便,陰募輕捷士,為作鐵弋,密於隱險賊所不備處,以戈拓斬山為緣道,夜令潛上,乃多縣布以援下人,得上百數人,四面流布,俱鳴鼓角,齊勒兵待之。賊夜聞鼓聲四合,謂大軍悉已得上,驚懼惑亂,不知所為,守路備險者,皆走還依眾。大軍因是得上,大破僕等,其餘皆降,凡斬首七千。〈《抱朴子》曰:昔吴遣贺将军讨山贼,贼中有善禁者,每当交战,官军刀剑不得拔,弓弩射矢皆还自向,辄致不利。贺将军长情有思,乃曰:“吾闻金有刃者可禁,虫有毒者可禁,其无刃之物,无毒之虫,则不可禁。彼必是能禁吾兵者也,必不能禁无刃物矣。”乃多作劲木白棓,选有力精卒五千人为先登,尽捉棓。彼山贼恃其有善禁者,了不严备。於是官军以白棓击之,彼禁者果不复行,所击杀者万计。〉齊復表分歙為新定;黎陽、休陽。並黟、歙凡六縣。權遂割為新都郡,齊為太守,立府於始新,加偏將軍。

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ほか 3 件

陳僕(チェン・プー)は東呉の黟(イー)の賊の首領で、『三国志(さんごくし)』の関連記録にその活動が見える。演義には登場しない。

事績

史書によると、陳僕は祖山(ズーシャン)らとともに二万戸を率いて林歷山を守った。山は険しく、賀齊(ホー・チー)は夜、身軽で俊敏な兵を遣わして山に登らせ、太鼓や角笛を鳴らして守備軍を混乱させた。その後、大軍が山に登って攻め込み、陳僕らは大敗した。

関係

  • 祖山らとともに林歷山を守った。

人間関係

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陳僕 の人物関係図賀齊陳僕
  • 敵対
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正史 · 巻 60

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    賀齊に破られた