言語

謝慈

字 孝宗

謝慈の肖像
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謝慈(しゃじ)は孫奮の傅相で、諫言後に殺害されたことで史書に記される。

正史 『三国志』巻59 · 『演義』に登場せず

出典

原典に謝慈が登場する箇所

  • 正史 · 巻 59『三国志』

    …傅相謝慈等諫奮,奮殺之。〈慈字孝宗,彭城人,見《禮論》,撰《喪服圖及變除》行於世。…
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    奮得牋懼,遂移南昌,游獵彌甚,官屬不堪命。及恪誅,奮下住蕪湖,欲至建業觀變。傅相謝慈等諫奮,奮殺之。〈慈字孝宗,彭城人,見《禮論》,撰《喪服圖及變除》行於世。〉坐廢爲庶人,徙章安縣。太平三年,封爲章安侯。〈《江表傳》載亮詔曰:「齊王奮前坐殺吏,廢爲庶人,連有赦令,獨不見原,縱未宜復王,何以不侯?又諸孫兄弟作將,列在江渚,孤有兄獨爾云何?」有司奏可,就拜爲侯。〉

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ほか 3 件

謝慈、字は孝宗。彭城(ほうじょう)の人で、呉の孫奮(そん ふん)の傅相を務めた。『三国志演義』には登場しない。

事績

諸葛恪(しょかつかく)が誅殺された後、孫奮は芜湖(ぶこ)に住んでいたが、情勢を見極めようと建業(けんぎょう)へ行こうとした。謝慈らが諫言したところ、孫奮は彼らを殺害した(史書に記載あり)。

関係

  • 孫奮の傅相を務め、諫言したために孫奮に殺害された。

人間関係

1 件の関係

謝慈 の人物関係図孫奮謝慈
  • 敵対
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戦績

戦場の記録

原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。

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孫奮

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