曹翕

曹翕(そうきゅう)は曹魏(そうぎ)の宗室・曹徽の子で、晋で廪丘公に封じられ、『解寒食散方』を著した。
出典
原典に曹翕が登場する箇所
正史 · 巻 20『三国志』
…子翕嗣。景初、正元、景元中,累增邑,幷前三千四百戸。〈臣松之案:翕入晉,封廩丘公。…
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東平靈王徽,奉叔公朗陵哀侯玉後。建安二十二年,封歴城侯。黃初二年,進爵爲公。三年,爲廬江王。四年,徙封壽張王。五年,改封壽張縣。太和六年,改封東平。靑龍二年,徽使官屬撾壽張縣吏,爲有司所奏。詔削縣一,戸五百。其年復所削縣。正始三年薨。子翕嗣。景初、正元、景元中,累增邑,幷前三千四百戸。〈臣松之案:翕入晉,封廩丘公。魏宗室之中,名次鄄城公。至泰始二年,翕遣世子琨奉表來朝。詔曰:「翕秉德履道,魏宗之良。今琨遠至,其假世子印綬,加騎都尉,賜服一具,錢十萬,隨才敍用。」翕撰解寒食散方,與皇甫謐所撰幷行於世。〉
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曹翕は曹魏(そうぎ)の宗室である東平霊王・曹徽の子で、その爵位を継いだ。『演義』にはこの人物は登場しない。
事績
曹徽の死後、曹翕が位を継いだ。景初・正元・景元年間に封邑はたびたび加増され、旧来の封邑と合わせて三千四百戸となった。(史書の記載)
裴松之(はいしょうし)の注によると、曹翕は晋に入った後、廩丘公に封じられ、魏の宗室の中では鄄城(けんじょう)公に次ぐ地位にあった。泰始二年、世子の曹琨(そうこん)を遣わして上表文を奉じさせ、朝廷に参内させた。晋の朝廷は曹琨に世子の印綬を授け、騎都尉を加官し、衣服一揃いと銭十万を下賜したうえ、その才能に応じて任用すると述べた。(史書の記載)
曹翕は『寒食散を解く処方』を著し、皇甫謐(こうほひつ)が著した処方とともに世に伝わった。(史書の記載)
関係
- 父:曹徽。
- 世子:曹琨。
- 皇甫謐との関係:曹翕が著した『寒食散を解く処方』は、皇甫謐が著した処方とともに世に伝わった。

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正史 · 巻 20
- 曹徽§89
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