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三国ミニゲーム · 神射

趙雲、篷索を射る

建安十三年(208年)冬、赤壁の戦いの前夜、東南の風が吹き起こった。周瑜は諸葛亮がいずれ東呉の禍根になると恐れ、丁奉と徐盛を南屏山の七星壇へ差し向けて捕らえさせる。孔明はすでに壇を下りて船に乗り、徐盛は帆をいっぱいに張って追ってくる。船尾に立つのは、軍師を迎えに来た趙雲。人を殺すつもりはない。徐盛の船の篷索(帆綱)だけを射切る。その一矢を、あなたが射る。

江を隔てて 50 歩(約 69 m)

趙雲

趙雲、篷索を射る

江上五十歩、揺れる船に満帆:篷索を射切り、徐盛は傷つけるな

一つ携えて臨む
今日は誰もが同じ風。最初の一矢が記録になる

二つの書での描かれ方

『三国志』は史書、『三国演義』は小説。同じ一矢でも、二つの書では描かれ方が異なる。

七星壇の祭風(しちせいだんのさいふう)
周瑜の命令

三国志

記載なし

三国演義

「徐盛從江內去,丁奉從旱路去,都到南屏山七星壇前。休問長短,拏住諸葛亮便行斬首」

徐盛は江から、丁奉は陸路から、ともに南屏山の七星壇へ。理由は問わず、諸葛亮を捕らえ次第斬れ

『三国演義』第49回

東南の風

三国志

「時東南風急」

時に東南の風が急であった

『三国志』巻54

三国演義

「霎時間東南風大起」

たちまち東南の風が大いに起こった

『三国演義』第49回

趙雲がそこにいた理由

三国志

記載なし

三国演義

「預先教趙子龍來相接」

前もって趙子龍に迎えに来させておいた

『三国演義』第49回

その一矢

三国志

記載なし

三国演義

「箭到處,射斷徐盛船上篷索。」

矢の行くところ、徐盛の船の篷索を射切った。

『三国演義』第49回

人を射なかった理由

三国志

記載なし

三国演義

「本待一箭射死你來,顯得失了兩家和氣。」

一矢で射殺してもよいが、それでは両家の和を失う。

『三国演義』第49回

史実か学
七星壇での祈風、徐盛と丁奉の追撃、趙雲が篷索を射切る話は、いずれも演義の筋で、『三国志』には見えない。史書が記すのは、赤壁の戦いの日に「時に東南の風急なり」(『三国志』周瑜伝注引『江表伝』)とあり、黄蓋がその風に乗せて火船を放ったこと。徐盛と丁奉は実在の呉将で、趙雲はこのころ劉備の軍中にいた。