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李術

別名 李述 · –約200

李術の肖像
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李術(りじゅつ)は孫策が任じた廬江太守で、嚴象を攻め殺し、後に孫権に仕えなかったことで知られる。

正史 『三国志』2巻に登場 · 『演義』に登場せず

出典

原典に李術が登場する箇所

  • 正史 · 巻 15『三国志』

    …後孫策所置廬江太守李述攻殺揚州刺史嚴象,廬江梅乾、雷緒、陳蘭等聚衆數萬在江、淮間,郡縣殘破。…
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    劉馥字元穎,沛國相人也。避亂揚州,建安初,說袁術將戚寄、秦翊,使率衆與俱詣太祖。太祖恱之,司徒辟為掾。後孫策所置廬江太守李述攻殺揚州刺史嚴象,廬江梅乾、雷緒、陳蘭等聚衆數萬在江、淮間,郡縣殘破。太祖方有袁紹之難,謂馥可任以東南之事,遂表為揚州刺史。

  • 正史 · 巻 47『三国志』

    …〈《江表傳》曰:初策表用李術爲廬江太守,策亡之後,術不肯事權,而多納其亡叛。…
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    建安四年,從策征廬江太守劉勳。勳破,進討黃祖於沙羨。五年。策薨,以事授權,權哭未及息。策長史張昭謂權曰:「孝廉,此寧哭時邪?且周公立法而伯禽不師,非欲違父,時不得行也。〈臣松之按《禮記》曾子問子夏曰:『三年之喪,金革之事無避也者,禮與?初有司與?』孔子曰:『吾聞諸老摐曰,昔者魯公伯禽有爲爲之也。』鄭玄注曰:『周人卒哭而致事。時有徐戎作難,伯禽卒哭而徵之,急王事也。』昭所云『伯禽不師』,蓋謂此也。〉況今奸宄競逐,豺狼滿道,乃欲哀親戚,顧禮制,是猶開門而揖盜,未可以爲仁也。」乃改易權服,扶令上馬,使出巡軍。是時,惟有會稽、吳郡、丹楊、豫章、廬陵,然深險之地猶未盡從,而天下英豪布在州郡,賓旅寄寓之士以安危去就爲意,未有君臣之固。張昭、周瑜等謂權可與共成大業,故委心而服事焉。曹公表權爲討虜將軍,領會稽太守,屯吳,使丞之郡行文書事。待張昭以師傅之禮,而周瑜、程普、呂範等爲將率。招延俊秀,聘求名士,魯肅、諸葛瑾等始爲賓客。分部諸將,鎮撫山越,討不從命。〈《江表傳》曰:初策表用李術爲廬江太守,策亡之後,術不肯事權,而多納其亡叛。權移書求索,術報曰:「有德見歸,無德見叛,不應復還。」權大怒,乃以狀白曹公曰:「嚴刺史昔爲公所用,又是州舉將,而李術兇惡,輕犯漢制,殘害州司,肆其無道,宜速誅滅,以懲醜類。今欲討之,進爲國朝掃除鯨鯢,退爲舉將報塞怨仇,此天下達義,夙夜所甘心。術必懼誅,復詭説求救。明公所居,阿衡之任,海內所瞻,原敕執事,勿復聽受。」是歳舉兵攻術於皖城。術閉門自守,求救於曹公。曹公不救。糧食乏盡,婦女或丸泥而吞之。遂屠其城,梟術首,徙其部曲三萬餘人。〉

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ほか 3 件

李術は孫策(そん さく)が任命した廬江(ろこう)太守で、孫呉(そんご)側の人物である。『演義』には登場しない。

事績

孫策は李術を廬江太守に任命し、李術は揚州刺史の嚴象(げんしょう)を攻め殺した。(史書に記載)
裴注が引用する『江表伝』によると、孫策の死後、李術は孫権(そん けん)に仕えることを拒み、孫権のもとから逃亡・離反した者たちを受け入れた。孫権が皖城を攻めると、李術は城門を閉ざして守りを固め、曹操(そうそう)に救援を求めたがかなわず、城が陥落した後に斬首された。(史書に記載)

関係

  • 孫策:李術を廬江太守に任命した。
  • 孫権:李術は孫権に仕えることを拒み、孫権は後に李術を攻めた。
  • 嚴象:李術に攻め殺された揚州刺史。
  • 曹操:李術は曹操に救援を求めたが、曹操は救援しなかった。

人間関係

1 件の関係

李術 の人物関係図嚴象李術
  • 敵対
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戦績

戦場の記録

原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。

嚴象

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正史 · 巻 15

  • 敵対

    揚州刺史の嚴象を攻め殺した