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得來

得來の肖像
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得來(トクライ)は句驪の沛者で、句驪王・宮にたびたび諫言したが聞き入れられず、断食して死に、国を挙げて賢人とされた。

正史 『三国志』巻28 · 『演義』に登場せず

出典

原典に得來が登場する箇所

  • 正史 · 巻 28『三国志』

    …句驪沛者名得來,數諫宮,〈臣松之按東夷傳:沛者,句驪國之官名。…
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    正始中,儉以高句驪數侵叛,督諸軍步騎萬人出玄菟,從諸道討之。句驪王宮將步騎二萬人,進軍沸流水上,大戰梁口,〈梁音渴。〉宮連破走。儉遂束馬縣車,以登丸都,屠句驪所都,斬獲首虜以千數。句驪沛者名得來,數諫宮,〈臣松之按東夷傳:沛者,句驪國之官名。〉宮不從其言。得來歎曰:「立見此地將生蓬蒿。」遂不食而死,舉國賢之。儉令諸軍不壞其墓,不伐其樹,得其妻子,皆放遣之。宮單將妻子逃竄。儉引軍還。六年,复征之,宮遂奔買溝。儉遣玄菟太守王頎追之,〈《世語》曰:頎字孔碩,東萊人,晉永嘉中大賊王彌,頎之孫。〉過沃沮千有餘里,至肅慎氏南界,刻石紀功,刊丸都之山,銘不耐之城。諸所誅納八千餘口,論功受賞,侯者百餘人。穿山溉灌,民賴其利。

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ほか 4 件

得來(とくらい)は句驪(くり)の沛者であり、句驪に属していた。『三国志(さんごくし)・巻二十八』の関連記載に登場するが、演義には記されていない。

事績

得來はたびたび句驪王の王宮(おうきゅう)を諫めたが、王宮は聞き入れなかった。得來はこの地にはやがて雑草が生い茂るだろうと嘆き、その後、絶食して死んだ。句驪の国中の人々は彼を賢徳の人とみなした。(史書の記載)

関係

  • 句驪王の王宮を諫めた
  • 妻が毌丘倹(かんきゅうけん)の軍に捕らえられた後、解放されて送り返された

台詞

  • 史 ch.28 §13

    「立見此地將生蓬蒿。」

人間関係

1 件の関係

得來 の人物関係図高位宮得來
  • 君臣
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高位宮

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正史 · 巻 28

  • 主君

    句骊王宫之臣(沛者),数谏不从