言語

應余

字 子正

應余の肖像
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應余(おうよ)は曹魏(そうぎ)の功曹で、太守・東里衮を矢から身を挺して救い、知られた。

正史 『三国志』巻4 · 『演義』に登場せず

出典

原典に應余が登場する箇所

  • 正史 · 巻 4『三国志』

    六月丙子,詔曰:「昔南陽郡山賊擾攘,欲劫質故太守東里衮,功曹應余獨身捍衮,遂免於難。…
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    六月丙子,詔曰:「昔南陽郡山賊擾攘,欲劫質故太守東里衮,功曹應余獨身捍衮,遂免於難。余顛沛殞斃,殺身濟君。其下司徒,署余孫倫吏,使蒙伏節之報。」〈《楚國先賢傳》曰:余字子正,天姿方毅,志尚仁義,建安二十三年為郡功曹。是時吳、蜀不賔,疆埸多虞。宛將侯音扇動山民,保城以叛。余與太守東里衮當擾攘之際、迸竄得出。音即遣騎追逐,去城十里相及,賊便射衮,飛矢交流。余前以身當箭,被七創,因謂追賊曰:「侯音狂狡,造為凶逆,大軍尋至,誅夷在近。謂卿曹本是善人,素無惡心,當思反善,何為受其指揮?我以身代君,已被重創,若身死君全,隕沒無恨。」因仰天號哭泣涕,血淚俱下。賊見其義烈,釋衮不害。賊去之後,余亦命絕。征南將軍曹仁討平音,表余行狀,并脩祭醊。太祖聞之,嗟嘆良乆,下荊州復表門閭,賜穀千斛。衮後為于禁司馬,見《魏略·游說傳》。〉

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ほか 3 件

應余、字は子正、曹魏(そうぎ)の南陽(なんよう)郡の功曹である。『三国(さんごく)演義』には登場しない。

事績

建安二十三年、南陽郡の功曹である應余は、太守の東里袞(Dongli Gun)とともに侯音の叛乱(こういんのはんらん)のさなか城を脱出した。追手に追いつかれると、身を挺して矢を受け、七か所に傷を負い、追手に東里袞を見逃すよう説得した。賊は東里袞を解放し、賊が去った後、應余も亡くなった。(史書による)
曹仁(そうじん)は侯音を平定した後、應余の事績を上表して祭祀を行った。太祖はこれを聞いて嘆息し、荊州(けいしゅう)に命じて應余の門を顕彰させ、穀物千斛を賜った。(史書による)

関係

  • 太守の東里袞と危難をともにし、身代わりに矢を受けて彼を救った
  • 曹仁(そうじん)は上表して應余の事績を述べ、祭祀を行った
  • 太祖は應余の門を顕彰し、穀物千斛を賜るよう命じた
  • 孫の應倫(Ying Lun)は吏に任じられた

人間関係

1 件の関係

應余 の人物関係図侯音應余
  • 敵対
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侯音

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正史 · 巻 4

  • 侯音§59

    敵対

    侯音の叛乱の際、騎兵を遣わして追撃し殺害した。余は護衮を守るため重傷を負い、死亡した