言語

邵疇

字 溫伯

邵疇の肖像
他の人物と同じ場面に →

邵疇(しょうちゅう)は、呉の会稽(かいけい)太守・郭誕の功曹で、自害して郭誕を大刑から救ったことで知られる。

正史 『三国志』巻48 · 『演義』に登場せず

出典

原典に邵疇が登場する箇所

  • 正史 · 巻 48『三国志』

    …〈會稽邵氏〈家傳〉曰:邵疇字溫伯,時爲誕功曹。誕被收,惶遽無以自明。…
    段落全文を読む

    三年,會稽妖言章安侯奮當爲天子。臨海太守奚熙與會稽太守郭誕書,非論國政。誕但白熙書,不白妖言,送付建安作船。〈會稽邵氏〈家傳〉曰:邵疇字溫伯,時爲誕功曹。誕被收,惶遽無以自明。疇進曰:「疇今自在,疇之事,明府何憂?」遂詣吏自列,云不白妖言,事由於己,非府君罪。吏上疇辭,皓怒猶盛。疇慮誕卒不免,遂自殺以證之。臨亡,置辭曰:「疇生長邊陲,不閑教道,得以門資,厠身本郡,踰越儕類,位極朝右,不能贊揚盛化,養之以福。今妖訛橫興,干國亂紀,疇以噂𠴲之語,本非事實,雖家誦人詠,不足有慮。天下重器,而匹夫橫議,疾其醜聲,不忍聞見,欲含垢藏疾,不彰之翰筆,鎮躁歸靜,使之自息。愚心勤勤,每執斯旨,故誕屈其所是,默以見從。此之爲愆,實由於疇。謹不敢逃死,歸罪有司,唯乞天鑒,特垂清察。」吏收疇喪,得辭以聞,皓乃免誕大刑,送付建安作船。疇亡時,年四十。皓嘉疇節義,詔郡縣圖形廟堂。〉遣三郡督何植收熙,熙發兵自衞,斷絕海道。熙部曲殺熙,送首建業,夷三族。秋七月,遣使者二十五人分至州郡,科出亡叛。大司馬陸抗卒。自改年及是歲,連大疫。分鬱林爲桂林郡。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 3 件

邵疇は字を温伯といい、呉郡の会稽(かいけい)太守・郭誕の功曹であった。『三国演義』には登場しない。

事績

郭誕が捕らえられたと知ると、邵疇は妖言を報告しなかった責任は自分にあると申し出、官吏に対して、この件は郭誕とは無関係だと自ら説明した。(史書に記載)
郭誕が結局罪を免れないことを恐れた邵疇は、証明のために自殺した。死に際して書き残した文書には、自分は妖言を広めないよう主張し、郭誕はその意向に従って報告しなかったと記していた。(史書に記載)
官吏が邵疇の遺書を受け取って上奏したため、孫皓(そん こう)は郭誕への重刑を免じた。邵疇は四十歳で没した。孫皓はその節義を称え、郡県に命じて廟堂に肖像を掲げさせた。(史書に記載)

関係

  • 郭誕の功曹。郭誕を救うために自ら申し出て、自殺した。

人間関係

1 件の関係

邵疇 の人物関係図郭誕邵疇
  • 君臣
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 1 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 1 人を表示

郭誕

続けて読む

郭誕

主君

郭誕へ →
関係の年表1 件 ▸

正史 · 巻 48

  • 郭誕§40

    主君

    郭誕の功曹であり、そのために自殺して罪を明らかにした