弓遵
–約245

弓遵(キュウジュン)は曹魏(そうぎ)の帯方太守で、正始元年、梯儁らを詔書と印綬を携えて倭国へ派遣した。
出典
原典に弓遵が登場する箇所
正史 · 巻 30『三国志』
正始六年,樂浪太守劉茂、帶方太守弓遵以領東濊屬句麗,興師伐之,不耐侯等舉邑降。…
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正始六年,樂浪太守劉茂、帶方太守弓遵以領東濊屬句麗,興師伐之,不耐侯等舉邑降。其八年,詣闕朝貢,詔更拜不耐濊王。居處雜在民間,四時詣郡朝謁。二郡有軍征賦調,供給役使,遇之如民。
正史 · 巻 30『三国志』
…時太守弓遵、樂浪太守劉茂興兵伐之,遵戰死,二郡遂滅韓。
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桓、靈之末,韓濊強盛,郡縣不能制,民多流入韓國。建安中,公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡,遣公孫模、張敞等收集遺民,興兵伐韓濊,舊民稍出,是後倭韓遂屬帶方。景初中,明帝密遣帶方太守劉昕、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡,諸韓國臣智加賜邑君印綬,其次與邑長。其俗好衣幘,下戶詣郡朝謁,皆假衣幘,自服印綬衣幘千有餘人。部從事吳林以樂浪本統韓國,分割辰韓八國以與樂浪,吏譯轉有異同,臣智激韓忿,攻帶方郡崎離營。時太守弓遵、樂浪太守劉茂興兵伐之,遵戰死,二郡遂滅韓。
正史 · 巻 30『三国志』
正始元年,太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國,
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弓遵は曹魏(そうぎ)の帯方太守で、『三国志(さんごくし)』巻三十に記載されている。演義にはこの人物は登場しない。
事績
正始元年、弓遵は建中校尉の梯儁(Tei Shun)らに詔書と印綬を持たせ、倭国へ派遣した。(史書の記載)
関係
- 建中校尉の梯儁らを倭国への使節として派遣した。

続けて読む
梯俊
臣下
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正史 · 巻 30
- 梯俊§169
臣下
梯俊を遣わして倭国に使いさせた