言語

曹禮

–229

曹禮の肖像
他の人物と同じ場面に →

曹禮(そうれい)は曹丕(そうひ)の子で元城哀王。秦公・京兆王に封じられ、太和三年に没し、演義には登場しない。

正史 『三国志』2巻に登場 · 『演義』に登場せず

出典

原典に曹禮が登場する箇所

  • 正史 · 巻 3『三国志』

    三年夏四月,元城王禮薨。六月癸卯,繁陽王穆薨。戊申,追尊高祖大長秋曰高皇帝,夫人吳氏曰高皇后。
  • 正史 · 巻 20『三国志』

    文皇帝九男:甄氏皇后生明帝,李貴人生贊哀王協,潘淑媛生北海悼王蕤,朱淑媛生東武陽懷王鑑,仇昭儀生東海定王霖,徐姬生元城哀王禮,蘇姬生邯鄲懷王邕,張姬生淸河悼王貢,宋姬生廣平哀王儼。
  • 正史 · 巻 20『三国志』

    元城哀王禮,黃初二年封秦公,以京兆郡爲國。三年,改爲京兆王。…
    段落全文を読む

    元城哀王禮,黃初二年封秦公,以京兆郡爲國。三年,改爲京兆王。六年,改封元城王。太和三年薨。五年,以任城王楷子悌嗣禮後。六年,改封梁王。景初、正元、景元中,累增邑,幷前四千五百戸。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 3 件

曹禮は曹魏(そうぎ)の文皇帝・曹丕(そうひ)の子で、元城哀王である。資料には登場する章回の記載がなく、演義にも登場しない。

事績

黄初二年、曹禮は秦公に封じられ、京兆郡を封国とした。三年には京兆王に改められ、六年には元城王に改封された(史書に記載)。
太和三年夏四月、曹禮は死去した(史書に記載)。
曹禮の死後、太和五年に任城王・曹楷の子である曹悌が後を継ぎ、太和六年に梁王へ改封された(史書に記載)。

関係

人間関係

2 件の関係

曹禮 の人物関係図徐姬曹悌曹禮
  • 親族
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 2 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 2 人を表示

徐姬

続けて読む

徐姬

親

徐姬へ →