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郭馬

郭馬の肖像
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郭馬(かくば)は呉に反旗を翻し、広州(こうしゅう)督の虞授を攻殺したことで知られる。

正史 『三国志』2巻に登場 · 『演義』に登場せず

出典

原典に郭馬が登場する箇所

  • 正史 · 巻 48『三国志』

    三年夏,郭馬反。馬本合浦太守脩允部曲督。允轉桂林太守,疾病,住廣州,先遣馬將五百兵至郡安撫諸夷。…
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    三年夏,郭馬反。馬本合浦太守脩允部曲督。允轉桂林太守,疾病,住廣州,先遣馬將五百兵至郡安撫諸夷。允死,兵當分給,馬等累世舊軍,不樂離別。皓時又科實廣州戶口,馬與部曲將何典、王族、吳述、殷興等因此恐動兵民,合聚人衆,攻殺廣州督虞授。馬自號都督交廣二州諸軍事、安南將軍,興廣州刺史,述南海太守。典攻蒼梧,族攻始興。〈《漢晉春秋》曰:先是,吳有說讖者曰:「吳之敗,兵起南裔,亡吳者公孫也。」皓聞之,文武職位至于卒伍有姓公孫者,皆徙於廣州,不令停江邊。及聞馬反,大懼曰:「此天亡也。」〉八月,以軍師張悌爲丞相,牛渚都督何植爲司徒。執金吾滕循爲司空,未拜,轉鎮南將軍,假節領廣州牧,率萬人從東道討馬,與族遇於始興,未得前。馬殺南海太守劉略,逐廣州刺史徐旗。皓又遣徐陵督陶濬將七千人從西道,命交州牧陶璜部伍所領及合浦、鬱林諸郡兵,當與東西軍共擊馬。

  • 正史 · 巻 65『三国志』

    …二弟著、延皆作佳器,郭馬起事,不為馬用,見害。
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    丞相陸凱上疏曰:「常侍王蕃黃中通理,知天知物,處朝忠蹇,斯社稷之重鎮,大吳之龍逢也。昔事景皇,納言左右,景皇欽嘉,歎為異倫。而陛下忿其苦辭,惡其直對,梟之殿堂,屍骸暴棄,邦內傷心,有識悲悼。」其痛蕃如此。蕃死時年三十九,皓徙蕃家屬廣州。二弟著、延皆作佳器,郭馬起事,不為馬用,見害。

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ほか 3 件

郭馬は東呉の人物で、合浦太守の脩允(Shūin)の部曲督を務めたことがある。『演義』には登場しない。

事績

天紀三年の夏、郭馬は脩允の死後、その部曲の将兵が他人に分配されることになり、さらに広州(こうしゅう)の戸籍調査が行われたことを機に、何典、王族、吳述、殷興らと兵を集めて挙兵し、広州督の虞授を攻め殺した。自ら都督交広二州諸軍事・安南将軍を称した。(史書による)
その後、郭馬は南海太守の劉略を殺し、広州刺史の徐旗を追放した。呉の朝廷は滕循(Tōjun)、陶濬(とうしゅん)、陶璜(とうこう)の部隊などを派遣し、協力して討伐にあたらせた。(史書による)
郭馬が挙兵した際、王著と王延は彼に仕えることを拒み、そのため二人は殺害された。(史書による)

関係

  • 脩允の部曲督を務めたことがある
  • 何典、王族、吳述、殷興らと集結して挙兵した
  • 王著と王延は彼に仕えず、殺害された
  • 呉軍の将領である滕循、陶濬、陶璜の部隊と敵対した

人間関係

9 件の関係

郭馬 の人物関係図何何典吳吳述殷殷興王王族徐旗滕脩王延王著虞虞授郭馬
  • 君臣
  • 敵対
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臣下

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正史 · 巻 65

  • 敵対

    郭馬が反乱を起こし、王著と王延は登用されず、殺害された