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龐延

龐延の肖像
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龐延(ほうえん)は蜀漢(しょくかん)の人物で、蔣琬が茂才を辞退する際に言及され、史書に記されたが、『演義』には登場しない。

正史 『三国志』巻44 · 『演義』に登場せず

出典

原典に龐延が登場する箇所

  • 正史 · 巻 44『三国志』

    …舉茂才,琬固讓劉邕、陰化、龐延、廖淳,亮教答曰:「思惟背親捨德,以殄百姓,眾人既不隱於心,實又使遠近不解其義,是以君宜顯其功舉,以明此選之清重也。」…
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    建興元年,丞相亮開府,辟琬為東曹掾。舉茂才,琬固讓劉邕、陰化、龐延、廖淳,亮教答曰:「思惟背親捨德,以殄百姓,眾人既不隱於心,實又使遠近不解其義,是以君宜顯其功舉,以明此選之清重也。」遷為參軍。五年,亮住漢中,琬與長史張裔統留府事。八年,代裔為長史,加撫軍將軍。亮數外出,琬常足食足兵以相供給。亮每言:「公琰托志忠雅,當與吾共贊王業者也。」密表後主曰:「臣若不幸,後事宜以付琬。」

龐延(パン・ヤン)は蜀漢(しょくかん)の人物で、三国志(さんごくし)に記された蔣琬(しょうえん)が茂才への推挙を辞退した一件に登場する。演義には登場しない。

事績

建興元年、蔣琬が茂才に推挙された際、固辞して劉邕(リュウ・ヨウ)、陰化、龐延、廖淳に推挙を譲った。(史書の記載)

関係

  • 蔣琬が茂才への推挙を譲った際に、同じく名を挙げられた人物。