言語

吳林

吳林の肖像
他の人物と同じ場面に →

吳林(ウーリン)は楽浪部の従事で、辰韓八国を楽浪に帰属させ、韓人の帯方郡攻撃を招いたことで知られる。

正史 『三国志』巻30 · 『演義』に登場せず

出典

原典に吳林が登場する箇所

  • 正史 · 巻 30『三国志』

    …部從事吳林以樂浪本統韓國,分割辰韓八國以與樂浪,吏譯轉有異同,臣智激韓忿,攻帶方郡崎離營。…
    段落全文を読む

    桓、靈之末,韓濊強盛,郡縣不能制,民多流入韓國。建安中,公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡,遣公孫模、張敞等收集遺民,興兵伐韓濊,舊民稍出,是後倭韓遂屬帶方。景初中,明帝密遣帶方太守劉昕、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡,諸韓國臣智加賜邑君印綬,其次與邑長。其俗好衣幘,下戶詣郡朝謁,皆假衣幘,自服印綬衣幘千有餘人。部從事吳林以樂浪本統韓國,分割辰韓八國以與樂浪,吏譯轉有異同,臣智激韓忿,攻帶方郡崎離營。時太守弓遵、樂浪太守劉茂興兵伐之,遵戰死,二郡遂滅韓。

呉林(ごりん)は楽浪に属する部従事であり、その活動は『三国志(さんごくし)』巻三十に見える。演義にはこの人物は登場しない。

事績

呉林は、楽浪がもともと韓国を統轄していたと考え、辰韓の八国を楽浪に編入した。吏訳の伝達に食い違いがあったため、臣智(しんち)は韓人の怒りを引き起こし、帯方郡の崎離営を攻撃した。(史書の記載)

関係

  • 楽浪の部従事を務めた