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馬艾

馬艾の肖像
他の人物と同じ場面に →

馬艾(ばがい)は敦煌(とんこう)の太守で、河右が乱れ道が途絶える中、任地で没した。

正史 『三国志』巻18 · 『演義』に登場せず

出典

原典に馬艾が登場する箇所

  • 正史 · 巻 18『三国志』

    先是,河右擾亂,隔絕不通,敦煌太守馬艾卒官,府又無丞。功曹張恭素有學行,郡人推行長史事,恩信甚著,乃遣子就東詣太祖,請太守。…
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    先是,河右擾亂,隔絕不通,敦煌太守馬艾卒官,府又無丞。功曹張恭素有學行,郡人推行長史事,恩信甚著,乃遣子就東詣太祖,請太守。時酒泉黃華、張掖張進各據其郡,欲與恭(艾)並勢。就至酒泉,為華所拘執,劫以白刃。就終不回,私與恭疏曰:「大人率厲敦煌,忠義顯然,豈以就在困危之中而替之哉?昔樂羊食子,李通覆家,經國之臣,寧懷妻孥邪?今大軍垂至,但當促兵以掎之耳;原不以下流之愛,使就有恨於黃壤也。」恭即遣從弟華攻酒泉沙頭、乾齊二縣。恭又連兵尋繼華後,以為首尾之援。別遣鐵騎二百,迎吏官屬,東緣酒泉北塞,徑出張掖北河,逢迎太守尹奉。於是張進須黃華之助;華欲救進,西顧恭兵,恐急擊其後,遂詣金城太守蘇則降。就竟平安。奉得之官。

馬艾は敦煌(とんこう)太守である。資料には登場する章回が記されておらず、演義ではこの人物は描かれていない。

事績

河右で動乱が起こり、道路が遮断されていた時、敦煌(とんこう)太守の馬艾は任地で没したが、府には丞佐もいなかった。(史書に記載)

関係

  • 敦煌(とんこう)太守を務める