胡母彪

胡母彪(こぼひょう)は王匡と同県の人で、書簡で王匡を責め、常林の叔父を釈放させたことで史書に記される。
出典
原典に胡母彪が登場する箇所
正史 · 巻 23『三国志』
…林往見匡同縣胡母彪曰:「王府君以文武高才,臨吾鄙郡。鄙郡表裏山河,土廣民殷,又多賢能,惟所擇用。…
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常林字伯槐,河內溫人也。年七歲,有父黨造門,問林:「伯先在否?汝何不拜!」林曰:「雖當下客,臨子字父,何拜之有?」於是咸共嘉之。〈魏略曰:林少單貧。雖貧,自非手力,不取之於人。性好學,漢末爲諸生,帶經耕鉏。其妻常自餽餉之,林雖在田野,其相敬如賓。〉太守王匡起兵討董卓,遣諸生於屬縣微伺吏民罪負,便收之,考責錢穀贖罪,稽遲則夷滅宗族,以崇威嚴。林叔父撾客,爲諸生所白,匡怒收治。舉宗惶怖,不知所責多少,懼繫者不救。林往見匡同縣胡母彪曰:「王府君以文武高才,臨吾鄙郡。鄙郡表裏山河,土廣民殷,又多賢能,惟所擇用。今主上幼沖,賊臣虎據,華夏震慄,雄才奮用之秋也。若欲誅天下之賊,扶王室之微,智者望風,應之若響,克亂在和,何征不捷。苟無恩德,任失其人,覆亡將至,何暇匡翼朝廷,崇立功名乎?君其藏之!」因說叔父見拘之意。彪即書責匡,匡原林叔父。林乃避地上黨,耕種山阿。當時旱蝗,林獨豐收,盡呼比鄰,升斗分之。依故河間太守陳延壁。陳、馮二姓,舊族冠冕。張楊利其婦女,貪其資貨。林率其宗族,爲之策謀。見圍六十餘日,卒全堡壁。
胡母彪は王匡(おうきょう)と同じ県の出身で、後漢末の事績に登場する人物である。『三国志(さんごくし)』巻二十三に記載があるが、『演義』には登場しない。
事績
常林(じょうりん)の叔父は、客を打ったために王匡(おうきょう)に捕らえられた。常林(じょうりん)は胡母彪のもとを訪れ、叔父が捕らえられた事情を説明した。胡母彪はすぐに王匡(おうきょう)へ手紙を書いて非難し、王匡(おうきょう)はその結果、常林(じょうりん)の叔父を釈放した。(史書の記載)
関係
- 王匡(おうきょう)と同じ県の出身。
- 常林(じょうりん)は、叔父が捕らえられた事情を彼に説明した。
- 王匡(おうきょう)に手紙を書いて非難し、常林(じょうりん)の叔父の釈放につながった。