言語

蔡款

字 文德

蔡款の肖像
他の人物と同じ場面に →

蔡款(さいかん)は字を文徳といい、彭城の人で、呉に仕え、張承に見出されて衛尉に至り、清廉さで世に名を知られた。

正史 『三国志』巻52 · 『演義』に登場せず

出典

原典に蔡款が登場する箇所

  • 正史 · 巻 52『三国志』

    …承爲人壯毅忠讜,能甄識人物,拔彭城蔡款、南陽謝景於孤微童幼,後並爲國士,款至衞尉,景豫章太守。…
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    承字仲嗣,少以才學知名,與諸葛瑾、歩騭、嚴畯相友善。權爲驃騎將軍,辟西曹掾,出爲長沙西部都尉。討平山寇,得精兵萬五千人。後爲濡須都督、奮威將軍,封都鄕侯,領部曲五千人。承爲人壯毅忠讜,能甄識人物,拔彭城蔡款、南陽謝景於孤微童幼,後並爲國士,款至衞尉,景豫章太守。〈吴录曰:款字文德,历位内外,以清贞显於当世。后以卫尉领中书令,封留侯。二子,条、机。条孙皓时位至尚书令、太子少傅。机为临川太守。谢景事在〈孙登传〉。〉又諸葛恪年少時,眾人奇其英才。承言終敗諸葛氏者,元遜也。勤於長進,篤於物類,凡在庶幾之流,無不造門,年六十七,赤烏七年卒,謚曰定侯。子震嗣。初,承喪妻,昭欲爲索諸葛瑾女,承以相與有好,難之,權聞而勸焉,遂爲婿。〈臣松之案:承与诸葛瑾同以赤乌中卒,计承年小瑾四岁耳。〉生女,權爲子和納之。權數令和修敬於承,執子婿之禮。震諸葛恪誅時亦死。

蔡款、字は文徳。彭城の人で、呉に仕えた。登場する回は不詳で、演義にはこの人物は描かれていない。

事績

張承(ちょうしょう)は、蔡款が幼く、身寄りもなく恵まれない境遇にあった頃から、その才能を見抜いて登用した。蔡款は後に国士となり、衛尉にまで昇進した(史書による)。
『呉録』によれば、蔡款は内外の官職を歴任し、清廉で貞節なことで当世に名を知られた。後に衛尉の職にありながら中書令を兼ね、留侯に封じられた(史書による)。

関係

  • 張承(ちょうしょう)は蔡款の才能を見抜いて登用した。
  • 蔡款には二人の息子、蔡条(さいじょう)と蔡机(さいき)がいた。